スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「本当の自分自身」に戻るために必要なこと

おかげさまでツイッターのフォロワーさんがとても増えました。そんな
なかで、「潜在意識の中にある『思い込み』をお掃除することで生きる
のが楽になる」という書き込みにいろいろとご質問を頂いています。

一番多いのが、「どうしたら潜在意識の思い込みをお掃除できるのか?」
というものです。


潜在意識の「思い込み(ビリーフ)」といっても、すべての思い込み
が『悪い』という意味ではありません。必要な思い込みもあれば、
必要でない思い込みもあります。そして、必要でないと思われる
思い込みも、それが潜在意識に定着したにはしただけの理由があるのだ
ということも何度か書いてきました。その思い込みがなかったら、傷つく
ことから自分自身を守れなかったということです。その思い込みのおかげ
で、傷ついた心を覆うことでなんとか守ることが出来たのです。
ただ、その思い込みもいつまでも持ち続けると生きることがかえって
苦しくなってくるのです。そうしたときには、もう必要がなくなった
として、手放せばいいということです。


では、その「もう必要でなくなった思い込み」はどうやったら手放せ
るのでしょうか?


答えは。。。。ありません。

というか、すべての人に同じ答えはないのです。100人の人がいれば
100通りの答えがあるし、そのどれもがその人にとって合っていれば
それが正解だということです。

私自身は、3年ほど前に、自分自身が「生きるのが苦しい状況」に
追い込まれ、いろいろなセミナーに参加し始めました。そのときにはまだ
「潜在意識にある思い込みが、今の自分の苦しさを創り出していた」
などとはわかっていませんでした。それでも、目にしたもの人から聞いた
ことのなかで、「これは!」と思うことは何でもやってみました。

もちろん、今から振り返ってみれば「必要なかったな」と思われるような
ことも随分としてきました。では、それが無駄だったかといえばそうでは
ないような気がします。


先ほどの質問に対して、もう一度別の言葉で答えるとすれば

自分にとって一番適切な答えは、自分自身が知っている
ということを信頼することが大切だ

ということでもあります。人から教えられて答えが見つかるものでは
ないということは確かです。これは、決して突き放しているのではなく
それが本当のことだからです。人からたとえ答えを教えてもらっても
それは、本当の意味で自分の身につくかどうかは自分次第だということ
でもあります。


本当に、自分の潜在意識の中にある「思い込み」が自分の生き方に
大きな影響を与えているということがわかれば、なんとしてもそれを
自分自身の力で見極めてみたいと思うものです。たとえ誰も「正答」
を教えてくれなくても、自分で探そうとするはずです。そして、本当に
そう決心したときには、ちゃんと答えが目の前に現れるのです。
不思議ですね。


もし、「誰も教えてくれないから」「どうしていいかわからないから」
などという理由で、潜在意識のお掃除することを先延ばしにしている
としたら、それは正にエゴが、私たちが本当の自分に戻ることを邪魔
しているからにほかなりません。

エゴは、いろいろと理由をつけて(その理由はさももっともらしく正論に
聞こえるのです)、私たちが本当の自分自身に戻ることを邪魔する
のです。なぜなら、私たちが本当の自分に戻ったときには、エゴは生き
伸びることが出来ないからです。自分の生存の危機ですからエゴは
必死で邪魔をしてくるのです。


ただ、繰り返しになりますが、エゴは悪者なのではなく、そうする
ことで「傷ついた心を守ろうとしている」だけだということです。



私たちが本当に決心して、エゴが仕掛けてくる邪魔にめげず、「思い込み」
のお掃除に本気で取り組むとき、本当は誰も私たちの心を傷つけることは
出来ないのだということがわかるのです。




本当の自分自身に戻るために必要なことは

私は本当の自分に戻るのだ、と自分自身に誓い決心することです。
そして、それを先延ばししようとするエゴの抵抗に気づくことです。
「自分にはそんなことは出来ない」という声が聞こえてきたら、それは
真実ではなくエゴがそう思わせようとしているだけなんだと気づくという
ことです。いかに『巧妙な罠』もそれが『罠』だと気づいた人をひっかける
ことは出来ないのです。



そうすれば、それぞれ自分にとって一番必要なことが不思議と目の前に
現れてくるのです。このブログを読まれた方は、このブログに書いてある
ことがなんらかのきっかけになるのかもしれません。


ブログランキングにエントリーして
います。下の「ブログランキング」の
ボタンを一日一クリックにご協力
お願いします。







「エゴ」って本当に悪者なのか?

最近、このブログと並列して「ツイッター」をしています。その中で、書き
込んだ内容についていろいろなコメントや質問をいただくようになりました。
その中で、「エゴについて」の御質問がいくつかあったので、私の考えを
ここに書かせていただこうと思います。


普通、「エゴ」と言うと私たちにとっては「良くないもの」というイメージが
あると思います。「エゴイスト」とかいう言葉をすぐに連想しますね。
ただ、心理学的には「自我」ともいわれ、フロイトが唱えたときには
「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」
と定義されます。ふーむ、なんことだか分かりません。


そこで、わたしなりにこの言葉を元に「エゴ」とはどういうものかを考えて
見たいと思います。
人間の「意識」には私たちが通常認識でいる「顕在意識」に加えて、私たちが
通常では認識できない「潜在意識」や「無意識」という「階層構造」がある
という話をしてきました。(参考:「潜在意識について」)
つまり、私たちの意識と言うのはこのような「構造」を持っていて、私たちが
普段「こころ」というものにはいろいろな「部分」があるということです。


私たちは、生まれたばかりのときにはこの潜在意識は透明であると言っても
良いと思います。それが、生まれてからのいろいろな「人間関係」の中で、
自分自身をそのまま表現するということを制限するのです。

赤ん坊は、何もわからずにお腹がすいたら泣き叫びますが、それで怒られると
まだ物心がついていなくても、「お腹がすいてもすぐに泣いちゃいけないんだな」
という思考が刷り込まれます。このいろいろな「思考」や「思い込み」が
刷り込まれる場所が「潜在意識」と言って良いところだと思います。
(学問的に厳密に定義すると、決してこんなに単純ではないかもしれませんが、
ここでは話を分かりやすくするために、敢えて単純化して書いています)


「思い込み(ビリーフ)」については、今までも繰り返しトピックで書いて
きましたが、潜在意識に蓄積されることによって私たちの思考や感情の動きに
とても大きな影響を与えるものです。そして、この「思い込み」がクリアー
になることによって、とても楽チンに生きていけるようになってくるという
書き方をしてきました。


この「思い込み」ももともとはなかったもので、生まれてから「適応」するため
に必要であったということは重要です。決して、不必要なのに他人から刷り
込まれたというようなものではなく、自分自身が「快適に」生きていくうえで
必要とされていたということです。

話がたしょうややこしいかもしれません。

つまり、私たちが「潜在意識」にため込んでいる「思い込み」は、それが
刷り込まれた時は、うまく生き抜くために必要なものだったということです。

泣き叫ぶ赤ん坊が、もし泣きやまないでいつまでも泣き続けていたら、最初は
言葉で叱られるだけだったのが、親はだんだんと感情が不安定になって、言葉も
大きくなり、ひょっとしたら手が出るような事があるかもしれません。そこまで
エスカレートしないようにするためには、あかちゃんは「適応」して「自分が
泣きたくても、泣いてはいけない」と『学習』するわけです。学習することで
世の中をうまく生き抜くことが出来るのです。


それが、大人になっても続くと「自分を表現してはいけない」「自分の思っている
ことを隠さなければいけない」「自分を表現すると他人から責められる」などと
いった「思い込み」になっていき、それが生きることをだんだんと生きづらく
させてしまうのです。


ちょうど、裸の「みの虫」が、寒さから自分を守るために枯れ葉で全身を包む
様子に似ています。生まれてきたばかりの赤ん坊が「みの虫」の幼虫で、枯れ葉は
いろいろな「思い込み」ということです。そして、このような枯れ葉を身につける
ことによって、自分自身を守ろうとする「防衛本能」が「エゴ」だと思うのです。
つまり、枯れ葉を接着する「粘液」のようなものといったらいいでしょうか。

この「粘液」がなければ、寒い冬も裸のままで凍え死んでしまうかもしれない
のです。自分の身を守るためには「粘液」で自分のまわりを「枯れ葉」で覆わ
ないとだめだということです。


「エゴ」というのは、自分自身を守ろうとする「防衛本能」です。これがないと
生きていくことはできません。エゴは「変化すること」を何よりも嫌います。
そのために、「思い込み」をどんどんと強化しようとします。どんどん粘液を
分泌してまわりをどんどんと枯れ葉で固めて。。。。
もうお分かりですよね。
枯れ葉で分厚く固め込まれた状態が、普段の私たちだということです。


分厚く固め込まれた「枯れ葉」の中心には、傷つくことをおそれて、裸んぼの
みの虫が、小さく縮じこまって隠れています。それが「インナーチャイルド」と
言われるものです。



たしかに、いろいろな「思い込み」は私たちの生き方を制限して生きるのが苦しく
なる原因になります。ただ、それがそうなったには理由があるのです。無理やり
「思い込みだから」という理由で、ひきはがしてしまうと、真ん中のみの虫は
恐怖のあまり死んでしまうかもしれません。


「エゴ」という「粘液」のおかげで、「みの虫」は冬も凍え死なないですんで
きたということは、とても大切なことだと思います。




自己信頼を妨げる「思い込み」について

私たちは、この世に生まれてきたときはみんな自分自身に全幅の信頼をおいて
います。というか、自分自身と外の世界との境界がまだきちんとできていなくて
存在するものすべてに対しての信頼感を持っているといってもいいかもしれま
せん。

それが、この世に生を受けてから周りの環境に「適応する」ということを経験
させられるのですね。「適応する」ということは、言い方を変えると「自分を
制限する」ということにもなるのです。

生まれたての赤ちゃんは、自分の感情を100%表現しますが、徐々にそれでは
いけないということを経験から学び始めます。それが、極端な場合は、自分を
制約して自分の感情や思考を表に出さないようにすることもあります。それは、
自分の感情や思考をそのまま表現すると、この世の中ではうまく生きていけないと
いうふうに学習するからです。

このように、まだ自分自身と外の世界との境界がしっかりと区別できない間に
経験した「制限」はそのまま潜在意識に刻み込まれて、そののちの人生に大きな
影響を与えるのです。これが、いままでトピックで何度も書いてきた「思い込み
(ビリーフ)」の一番大きな原因だと思います。

たとえば、子供の時に両親と道を歩いていて、通りがかりのおもちゃ屋さんの
ショーウィンドーに自分がとても欲しいおもちゃを見つけた時に、こどもは
全身でそのおもちゃが欲しいという「自然な欲求」を表現します。子供から見る
とそれはとても自然な行動です。

しかし、親の立場から見ると、道を歩いているときに急におもちゃ屋さんの前で
大声をあげて泣き叫ぶ子供はそのままにしておいてはいけない存在として映るの
です。
そして、お尻をたたいたり、無理やり手を引っ張っておもちゃ屋さんから立ち
去ろうとします。ときには、路上で「わがままを言った」お仕置きにほっぺたを
たたかれたりすることもあるかもしれません。それは社会生活に適応していく
うえでは当然必要な「処置」なのです。

親にとっては当然と思われるこの行為は、実は子供にとってはとても理解でき
ないことなのです。そして、自分の「自然な欲求」を表現すると親から愛して
もらえない、といった信念が発生するのです。子供にとっては、親から愛して
もらえなくなるということほど脅威なことはありません。そして、そのためには
自分は自然な欲求を感じたり表現したりしてはいけないのだという風に「学習」
するのです。


私は、ここで子供の欲求をすべてそのまま認めなければいけないというような事を
言いたいのではありません。ただ、子供の意識は大人の意識とは全く違っているの
だということをいいたいのです。
そして、私たちが大人になってから何か「生きにくさ」を感じているとしたら、
それは自分が子供のころに勘違いして感じてしまった「思い込み(ビリーフ)」
が原因になっている可能性があるということです。
その思い込みはもともとはなかったものでこの世に生まれてきてから、親やその
周りの人間関係の中で「勘違い」をして刷り込まれたということです。
otona.jpg

先に、「自己評価、自己信頼」について書きましたが、こどもは生まれた来た時には
自己を完全に信頼している状態です。それが、徐々に潜在意識の中に「思い込み」
をため込んできたために、自分自身のありのままで生きていくことが評価できなく
なり、信頼できなくなって来ただけだということです。

ですから、自分自身を評価できないから、信頼できないからと言って何か特別なことを
する必要はないのです。
もし、「自分を評価するために、もっと頑張らなければいけない」と思ったとしたら、
それも「思い込み」です。そういう人は、評価されるまで努力をして、いつまで
たっても自己を信頼できなくて、最後にはうつになったり過労死してしまう可能性も
あります。
(これは「デッド・ゾーン」)と言われます。

生まれてきたときには、自分は自分のことを完全に信頼していたのだということを
思い出し、そして、その周りにこびりついてきた「思い込み」を外していくこと。
これが大切だと思います。

もちろん、そのためには最初は適切なセラピストさんの助けを借りることも必要かも
しれません。でも、いつまでもセラピストさんに依存する必要はないのです。
セラピストさんの役割は、クライアントさんを「治す」ことではなく、クライアント
さんが本来の自分自身に戻れる道に寄り添うことだと思います。

   参考:セラピストの見極め方



人の分まで悩まなくてもいい

私たちは、日常の人間関係の中でいろいろな感情を感じます。人に言われた言葉に
怒りや悲しみを感じたり。。。「それが、人生」と言えるのかもしれません。

でも、その状況を少しだけ距離を離してみることが出来たら。

nayami.jpg


たとえば、人に攻撃的な言葉を投げかける人がいる場合、私たちはその言葉に傷ついて
いろいろと「反応」してしまいます。「反応」とはその時に感じた感情に振り回される
という意味です。
しかし、ただ単に「私はあの人の、コレコレの言葉に傷ついた~」と落ち込むのでは
なく、「その相手の人に何が起こっているのかな?」と考えることが出来たら展開が
全く変わってきます。

自分自身のことを振り返ってみるとよくわかると思いますが、人に対してイライラしたり
やたらと機嫌が悪い時には、目に見えるもの何でもが気に食わないように感じられます。
逆に、朝からいいことがあると、その日一日がいいことばかりであるように感じられる
こともあります。
まさに、自分自身の心のなかの「フィルター」を通して私たちはすべてのものを見るので
その「フィルター」がたとえば「満たされない思い」で曇っている時には、目にする現実は
すべて満たされないように感じられるということです。そういう人は不平不満だらけの
人生を送るのです。

つまり、相手の人が人間関係の中でそのような「対応」をするのは、なんらかの
「フィルター」があって、そう反応せざるをえないからなのですね。
相手がそのような言葉や態度を投げかけるのは、相手の人の心の中でその人なりの
「ドラマ」が行われているからだと言い換えることが出来ます。



とすれば、私たちはそのような「他人のドラマ」に巻き込まれて一生を生きていたくは
ないと思いませんか?
周りの人の言動にいちいちに振り回されるということは、自分の人生を生きていないと
いうことです。だって、人のドラマに右往左往して本当に自分は何を感じているのかが
分からなくなってしまうからです。


人間関係というのは、ある意味では私たちの「学びの場」であるともいうことが出来
ます。いろいろな感情を感じさせられることがひっきりなしに起こるものですが、
そんな時

「ああ、この人の心の中に『ドラマ』が演じられているのだなぁ」

と思うことは人間の心理を見ていくうえでとても役に立ちます。
ぼくなんかは、振り回されるどころか、逆に一体どんな「ドラマ」なんだろうかと興味を
持ったりします。


人は、本来愛に満ちている存在なのではないかと私は思っています。それが、いろいろな
ネガティブな感情に振り回されているのは、本来の姿ではないということです。
だから、自分の周りの人が自分にネガティブな感情を感じさせることがあっても、それは
自分のせいではなく、その人の中で起こっていることです。

周りにいる人の心の中に起こっていることは、その人に任せましょう。
自分がその人の分まで引き受けることはないのです。

ちょっとお恥ずかしいコンビニでの話

昨日、定例の往診を終えてクリニックに帰る途中でのことです。
暑かったので、久しぶりにアイスクリームを食べたいと思い県道沿いのコンビニに
立ち寄りました。

アイスクリームを持って、レジで清算をしようとして私はクレジットカードを
カウンターの中の店員さんに渡しました。たかがアイスクリーム一つにクレジット
カードなんて大層なと思われるかもしれませんが、ロー○ンのクレジットカードで
ポイントが付くうえに、マイルもたまるので、可能な限りカードで清算するように
しているのです。買い物で「マイル」をためる人のことを「陸マイラー」というの
だそうです。

そんなことはさておき、そのカウンターの中の店員さんは60歳は越えたような年配
のかたで、レジのうち方もややぎこちない感じでした。それが、カードで精算という
ことになって、ちょっと焦っている様子がうかがえました。なかなかカードで支払う
人はそんなに多くはないのかもしれません。

最初は、のんきに構えていたのですが、いつまでも手間取っていて、1個しか買って
いないアイスクリームをだぶってうちこんで2個分の値段になったり、何度カードを
通してもアラームが鳴ったりと、いつまでももたついていたのです。

まあ、とってもたわいもないことなのですが、5分もそういう状態が続いていると
私の胃のあたりになんだか、もやもやとした感覚が込み上げてきました。ちょっと
ネガティブな感覚です。
「わからないなら、もっと早く人に聞けばいいのに」とか
「何度もアラームが鳴るのだから、同じことをしても仕方がないのに」とか。。。

今までの私ならばそういった「ネガティブな感情」は感じることなく、抑え込んで
「良い子ちゃん」であり続けたのですが、さすがにいろいろな勉強をしてきたので
これを味わってみようと思いました。コンビニのカウンターの前でそんなことを考え
出すのですから、かなり変ですね。
とりあえずは、カードで精算することはあきらめて、現金で支払いを済ませ、車に
戻り、今出てきた感覚を改めて味わうことにしました。


最初に感じたのは、

「仕事にまごつくことに対する怒り」

みたいなものでした。それをしばらくみつめていると、

「仕事は完璧でなければならない」
「プロは失敗してはいけない」


という感じの「観念(思い込み)」を感じ始めました。
確かに、私はホテルのレストランなどでサービスを受けるときに、
「プロだったらもっとちゃんとしろよ」みたいな感情を感じることが多い
のです。「プロはお金をもらってサービスを提供しているのだから、それに
ふさわしいサービスを提供できるように努力しなければならない」みたいな
感じです。

さらに、深いところのもやもやを感じようとすると、

「完璧でないと価値がない」

という「観念(思い込み)」に至ったのです。



最初は、コンビニのちょっと手慣れない店員さんに感じた漠然としたもやもや感
でしたが、それを味わっていくととんでもない観念に行きあたったのです。
そして、もっとも重要なことは、最初は他人に対して感じていた感情も、その根本
は結局は自分自身に対して感じている「観念(思い込み)」であるということです。
他人はそれを見せてくれている「鏡」でしかないということです。


この「完璧でないと価値がない」は私にとっては初めての観念ではなく、今までにも
何度も手放してきたものです。そして、そのさらに奥にどのような「信念」がある
のかもわかっています。もちろん、それを初めて感じた時よりも大分と軽くはなって
いるのですが、まさに玉ねぎの皮むきで「一皮一皮剥がれていく」感じです。

そのことに、気づいていればあれこれと思い悩むことなく「淡々と薄皮むきをすれば
良い」のです。


ブログランキングにエントリーして
います。下の「ブログランキング」の
ボタンを一日一クリックにご協力
お願いします。







プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


ツイッターでもつぶやいています。下のボタンをクリックして下さい。

個人セッションのお申込みはコチラ

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

全記事表示リンク

ブログランキングにご協力ください

リンク

Copyright © 小西 康弘
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。