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「奇跡的治癒」を謙虚に受け入れる



私たちの潜在意識の中には、自分自身でもとても思いもつかないような様々な「思い込み
(ビリーフ)」があって、私たちの精神(顕在意識)や肉体に影響を与えているのだという
ことは、実は心理学の分野ではずっと前から言われてきていることです。

生まれた瞬間から、外の世界とのかかわりの中で、私たちの心はいろいろな「制約」を
感じたり、また傷ついてきます。それを「インナーチャイルド」というのだということを
前回書きました。

西洋医学の世界では、あまりこのような「潜在意識と肉体との関係」に注目することは
ありませんでした。私たちの受けた医学教育でも「潜在意識」などという用語は用いられた
ことはありません。ましてや、それが肉体や病気に影響を及ぼすなどということは一般の
「医学的常識」では認められないということです。
「心療内科」という分野が本来はそのような専門分野であるのですが、現状はその役目を
十分に果たせているとは言えないような気がします。


しかし、一方ではそういうメンタルな面から自分自身を見つめ、気づき、心のありようが
変わることで「難病」であると言われている病気が「自然治癒する」報告も決して少なくは
ないのです。


バニー・シーゲルの書いた「奇跡的治癒とはなにか」という本にはそのような症例が書かれて
あります。

私たち医療者は、どうしてこのような現実があるということをもっと謙虚に受け入れることが
できないのでしょうか?
自分が実際に受けてきた医学教育の範囲にはおさまらないことであっても、それが事実で
あるという「実証」があるのにも関わらず、どうして無関心でいられるのでしょうか?

数々の「奇跡的治癒」の報告が、すべて「偽りである」とする明確な根拠を持っているとでも
言うのでしょうか?
あるいは、それはたまたま起こったことであり、科学的に検証する価値のないものであると
断言できる根拠があるのでしょうか?


西洋医学の常識で、「不治」とされた患者さんが”どのような方法で”「奇跡的治癒」を
達成したかは重要ではありません。ましてやその患者さんの取られた方法に科学的な根拠が
あるかどうかも重要ではありません。

巷には、「代替療法」が科学的にエビデンスがあるかどうかで喧々ガクガクの『議論』が
もっともらしく行われていることがありますが、私にはそれはあまり重要なことであるとは
思えません。

それよりも、患者さんが、どのような方法を用いたのであれ、西洋医学では通常治らないと
思われた状態から生還してこられたという事実のみが意味を持つのだと私は思います。

たとえ、100人の患者さんのうち1人しか「奇跡的治癒」をなし得ないとしても、それは
「たまたま」として無視するのではなく、100人の誰もがその1人になりうる可能性が
あるのだということです。
今の医学は、この99人の「平均的予後」に意識が向けられすぎており、「奇跡的治癒」
を達成した1人には向けられていません。しかし、これからの医療で大切なのはこの1人の
『例外的な患者』がどうして治ったのかを究明することだと思います。

今までも科学を大きく進展させた「大発見」は、「例外的事実」を無視しないで究明した
ところから起こってきたということを私たちは忘れてはいけないと思います。


そして、この「奇跡的治癒」の起こった「例外的患者」の潜在意識の変容が重要なポイント
であると私は思います。
潜在意識のありようが変われば、「奇跡的治癒」は例外的でなく起こりうるのだと思います。

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インナーチャイルドに寄り添うことの大切さ

baby.jpg

前回は、人間は生まれたばかりのときには自分自身に全幅の信頼を
置いているという話を書きました。
それが、はじめは両親や家族、そしてそのまわりの人間関係と関わる
間に徐々に自分を制限をし始めるという話を書きました。


確かに、小学校のころに「将来の夢」とうタイトルで作文を書いた方
も多いと思いますが、そのころは自分は何にでもなれると感じていた
ことを思い出します。なれると思ったものに何にでもなれるというのは、
究極の自己信頼かもしれませんん。

それが、徐々に「自分の能力の限界」を感じることを経験するにつれて、
「現実的な」判断をし始めます。なにも「現実的な対応」が悪いという
わけではありませんが、そのなかには自分が「生きづらくなる」のを
避けるために本来の気持ちを抑え込んでしまう場合があるのです。



先日も、あるかたのカウンセリングをしていた時のことでした。その
方はある悪性疾患をもっておられる方で、今まで何度か潜在意識に
ある「思い込み」の掘り下げもやってきた方です。
そして、かずかずの思い込みにも気づかれ全体としては状態も良く
なっているのですが、大きな波があるということで相談に来られました。


ご本人さんとも相談の上、とにかく一番根っこにある「思い込み」に
まで迫らないとこの堂々巡りは解決しないということで一致しました。
それで、とにかく一番その人を生きにくくしている「一番根元にある
思い込み」にアプローチしていきましょうとセッションを開始しました。

セッションの途中でいろいろな問いかけをしていく中で、その
クライアントさんが途中で胸に「もやもや」とした違和感を感じ
始めました。「フェルトセンス(微細感覚)」と言われるもので、
とても重要なサインです。
そのもやもやとした感覚にフォーカスして進めて行くうちに、
心の中に「悲しみに打ちひしがれて、硬く身も心も閉ざした」小さい
子供のイメージが浮かんできたのです。
そして、イメージの中でその子供に声をかけたり、後ろから抱き締め
たりするワークをしてみましたが、子供は全然心を開いてくれません。

イメージの中でクライアントさんに、その子供に向かって
「今まで気づいてあげなくてごめんね」
「これからもっとあなたのことを大切にするから赦してね」
という言葉がけをしましたが、
「そんなことを言っても私は信用しない」
「そんなことを言っているのはいまだけで、すぐにまた私のことを
忘れてしまうんだ」と頑なに心を閉ざしているのです。そして、最後には
硬い繭のような中に閉じこもってしまいました。その間、そのクライアント
さんの顔を見ることもなくずっと顔をそらせたままだったということです。



セッションをしているときには、このような幼いころの傷付いた自己の
イメージが子供のイメージで出てくることは良くあります。心の中にある
傷付いた子供という意味で「インナーチャイルド」とも言われます。
それは、自分のありのままの感情を感じることで傷付いてきた「セルフ
イメージ」ということが出来ると思います。本来生まれたばかりの
「セルフイメージ」は自分に全幅の信頼を寄せていますが、、その人の
育った環境によっては、それではとても生きづらくなってしまいどんどん
と自分の感情を感じないようにしていかなくては生き続けることができま
せん。
どんどんと感じなくして、自分の本当の感情を抑え込んで、表面的には
「とてもしっかりした強い人」という印象を周りにも与えているかも
しれませんが、実はとても傷ついているのです。


通常のセッションでインナーチャイルドが出てきた時も、いろいろな
働きかけをしている間にそれが癒される場合が多いのですが、
「悪性疾患」の原因となるくらいの場合は、本当に癒されるためには
しばらく時間がかかる場合もあります。しかし、クライアントさんに
とっては自分自身の中に、それほどまでに傷付いた「インナーチャイルド」
がいることを「実感」出来たことで、それが直感的に「病気の本当の原因」
であると理解できるのです。

医学的には、悪性疾患の原因が、あるともないとも分からない「インナー
チャイルド」であるというのはなんの根拠もない事ですが、実際にこの
ようなワークをすることで自分の内面をみつめ変容することで、西洋
医学では治らないとされる病気が治ることがあるという事実は無視を
することはできないと思います。





低い自己評価・自己信頼感をどのようにして癒すか?

前回は、自分からみた自分自身の評価と他人から見た自分の評価とのギャップについて
書きました。これが一致している場合は、「自他共に認める」ということでギャップを
感じることなく、とても安らかな気持ちで他の人たちとコミュニケーションを取れる
のではないでしょうか。
だって、すべてが一致しているのですから

「この人は自分のことをどのように思っているのだろうか?」とか
「この人を信頼してもいいのだろうか?」

というところに一切余計な気持ちを使わなくてもいいからです。

そして、このギャップは一見自分の内面と外の世界とのギャップであるかのように感じられ
ますが、実は「外からの評価」というものは存在せず、それは「外が自分をどのように
評価しているか」をどのように感じているかを反映したものにすぎないということです。


ですから、外からの評価は、自分が「どのように評価してくれていると感じているか」
次第によっていかようにも変わるということです。


自分の潜在意識の中に「周りの人は自分のことを評価してくれるはずがない」という思い込み
がもしあったとしたら、外で起こることはすべてそのように思えることばかりでしょうし、
逆に、「自分はみんなから評価されている」という思い込みがあれば、そのように感じる
でしょう。
つまりは、表面的な部分で、自分自身のことをどのように感じるかというのとは別に、
心の深い部分での「自分自身への評価、あるいは信頼」がとても大切であるということ
です。
sora.jpg

世の中には、若いうちからとても努力をして社会的にも成功していると認められている人が
います。その人たちは、他の人が遊んでいるときにもひたすら努力をしてきた人かも
しれません。社会的成功者として外から評価され、もちろん自分自身への評価も高く、
自己信頼されている人もたくさんおられることと思います。

しかし、「社会的にどれだけ成功しても、満たされることがない」という人も中にはおられる
かもしれません。外から見たらどうみても『成功者』なのに、心が満たされていないという
ことです。

このような場合、心の深い部分での「自己評価・自己信頼」が案外低い場合があるのです。
そして、そのような人は、その低い自己評価や自己信頼を埋めようとして、人よりも
とても努力をします。努力をしたら、自分に対する評価や信頼が高まると思うからです。

しかし、その低い自己評価や自己信頼は幼いころの「傷付いた体験」が原因であることが
あるため、いくら努力をしてそれを埋めようとしてもなかなか埋まらない場合があるのです。
逆に「これだけ努力をしているのにいつまでも満たされない」と絶望的になる場合さえある
のです。


実は、さも客観的な事実であるような書き方をしていますが、2年前の私自身がこのような
状態だったのです。医師としてそれなりに成功し、社会的成功的にも人並み以上になって
いたのにもかかわらず、心の中の満たされない思い、焦燥感はいっそう強まるばかりでした。

それが、わたしがいろいろなヒーリングや心理学カウンセリングを勉強し始めたきっかけでも
あったのです。


いくら努力しても満たされず、成功すればするほど焦燥感を感じるその原因が自分の心の中に
あるということを見詰めて気づいて初めて、その低い自己評価・自己信頼感はやっと癒され、
いまここに満たされるということを感じることが出来るようになったのです。

自分の中に、そのような「闇の部分」があったことに気づき、受け入れ認めてあげることによって
その「闇の部分」に光があたり、溶け始めるということです。

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「だれも自分のことを分かってくれない」

先日、ある方のセッションをしていた時のことです。セッションが進むにつれて、私も
気がついたことがあったので、クライアントさんの了承を得て、プライバシーの保守に
問題がない範囲で書いてみたいと思います。


その方は、仕事上いろいろとうまくいかないことがあり、最近「ふらつきなどの症状」
のために会社の勤務が難しくなってきたということで、私のセッションき来られました。

最初いろいろその方の取り巻かれている「状況」についてお聞きして、セッションを
進めている時、共通する「思い込み」が原因ではないかと気づいたのです。

その方は、体調が悪いということで来られたわけですが、話をうかがっている間に仕事上
や家庭において、「自分はこれだけ一所懸命がんばっているのに誰も自分のことを
分かってくれない」という『パターン』があるように感じました。それで、体調だけに
フォーカスするのではなく、仕事上や家庭で自分が無意識の間に繰り返しているパターン
に焦点を移すにつ入れて、ご本人さんにも「はっ」とするような気づきが芽生えました。


「自分ではこれだけ努力をして頑張っている」という自分自身に対する自分の評価

「周りの人は、自分のことをこれだけしか評価してくれない、理解してくれない」という
自分に対する他人の評価
との間に大きなギャップがあるということに気がつかれ、それが体調不良の「原因」に
なっている可能性があるということに気づかれたのです。

そのことについてセッションを始め、話をしているときに、私自身がふっと気がついた
ことがありました。

この「自分自身に対する自分の評価」を、ふつうは「自己評価」と言われます。
そして、他人が「自己評価」程に評価してくれない時に、そのギャップに悩みます。

ところが、その時の頭に浮かんだのは、本当の「自己評価」というのは、「他人が自分の
ことをこれだけしか評価してくれない」というほうなのではないか?

つまり、表面的には自分自身を高く評価している(「これだけ一所懸命がんばっている」)
ように思えても、潜在意識では自分自身を高く評価出来ていない場合、周りの状況に対して
「他人は自分のことを正しく評価してくれない」という捉え方になるということです。

つまり、「自分自身に対する他人の評価」は「潜在意識での本当の『自己評価』を反映する
のではないかということです。
自分が潜在意識のレベルでどのように評価しているかということは、自分が自分のことを
どのように思っているかということではなく、他人が自分のことをどう評価しているか
ということを見ないといけないということです。

自分自身の自己評価と他人の評価とのギャップは、実は顕在意識での自己評価と潜在意識
での自己評価とのギャップであるということなのです。
表面的には、自分のことをとても努力家で「こんなに頑張っている」と思っていても、
その根底に「自分のことを本当に評価することができない」でいると、このような評価の
ギャップに悩むことがあるということですね。

逆に、このようなギャップを感じる場合は、表面的には自己評価が高いと思っていても
潜在意識レベルでは、自己評価が低い可能性があるということを暗に教えてくれていると
いうふうに言うこともできます。




クライアントさんに説明しながら、そのことに気づき、それからのセッションがとても
深まったように感じます。セッションではこのように、私自身が教えられることが実に
多いのです。まさにクライアントさんを通じていろいろと勉強させていただいているという
感じです。




思い込みとは「過去の記憶」の集積

今日は、私たちが普段如何に「過去の記憶」に縛られて生きているかについて書いてみたいと
思います。
私たちが日常の生活でいろいろな感情を感じるのは実はこの「過去の記憶」が影響している
ということです。


例えば、会社でちょうど郵便物を出そうとしていたところ、同僚から「これも出してきて」と
郵便物を一緒に出してくれと頼まれたという状況を考えてみましょう。日常的によくある
光景ですね。

しかし、もしその同僚が自分の気に入らない同僚だった時、私たちは「自分のことは自分で
しろよ」とか思い非常に腹が立ってきます。それは、その同僚との過去にあったいろいろな
いざこざが現在に影響を与えているということです。

逆に、もしその同僚が普段から自分がとても気になっていた異性だとしましょう。すると、
胸はわくわくとわき踊り、「これをチャンスに話す機会を作りたい」と思うに違いありません。
これも、自分が気に入っているという過去の記憶の影響を受けているということと言えます。

どちらも、同僚に郵便物を一緒に出してくるように頼まれたという「現象」は同じであるに
もかかわらず、どうしてこれほどまでに私たちの心の中に起こってくる反応が違うのでしょう
か。

それは、頼まれた二人の同僚に対する、自分の持っている「過去の記憶」が違うということ
に他なりません。そういう意味では、過去の記憶が現在に起こっていることに影響を
与えているということで、「原因と結果の法則」に当てはまるように思えます。

しかし、この「過去の記憶」というものは、実はどこにも実在しないものです。
時間の流れはちょうど川の流れとして例えることが出来ます。ちょうど川の真ん中に川上に
向かって立っているのが私たちというわけです。

そして、上流から押し寄せてくる川の水がちょうど時間のようなもので、川の水は上流と言う
未来から流れてくるわけです。過ぎ去って流れていく川の水はもう二度と自分に何らかの因果
関係を及ぼすことはないのです。

では、どうしてわたしたちはこの「川下に流れてしまった『過去』という、もはや存在
しないものにこれほどまでにこだわったり制限されてしまうのでしょうか?

それに、わたしたちは「過去が現在に影響を与える」と勝手に関連づけをして影響を受けると
思いこんでしまっているからなのです。
本当は過ぎ去ってしまった、川下の水は私たちには何の影響も与えることが出来ないのにも
関わらずです。過去の事象が原因となって、現在や未来に結果を及ぼす、といういわば因果応報
の法則はじつは強固ではありますが、勝手な「思い込み」に過ぎないということです。

しかし、冷静に考えてみれば、私たちには「現在」しか経験するととが出来ないのです。
過去は、どこにも存在せず、あるのはその記憶だけ。そして、この記憶というものはどこにも
存在しないのです。その意味では「幻想」にすぎないといえるのではないでしょうか。


先の例で「同僚から用事を頼まれた」という事実は、過去とは何の関係もない川上から流れて
きた、木の端くれのようなものです。その気の端くれを拾うか拾わないかは私たちの自由ですが、
少なくとも過去に起こったこととはまったく関係がないのです。

ところが、私たちはしばしばその木の端くれを拾うか拾わないかの判断に、過去に起こった
出来事で判断してしまいます。だから、いろいろな感情や思考が誘発されてしまうわけです。
現在に起こっている事象とまったく関係のないことを関連づけて自分でしんどくしてしまって
いるということがいかに私たちは多いことでしょうか。

この「過去の記憶」が何度も繰り返され同じパターンを繰り返し強化された状態が「思い込み」
(ビリーフ)といわれるもので、本来は無色透明であるはずの「現在に起こっている現象」に
さまざまな意味づけをしてしまうのです。


同僚から頼まれた用事は本当は、良いことでも悪いことでもなく、無色透明な現象です。
それには何の意味もありません。ただ「頼まれた」だけなのです。
それに、いろいろな感情を引き起こされるのは、自分の潜在意識の中にある「過去の記憶」で
あり、「思い込み」であるということです。



この「思いこみ」を自分が勝手に作った「過去の記憶の集大成」であるということに気付き、
脱ぎ棄てていくことが出来れば、どんどんと「現在」の持つ意味が変わってきます。本来の
無色透明性を取り戻し、感情に振り回されることがなくとても気楽な生き方が出来るように
なるのです。



プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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