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エビデンスとナラティブ

一人の人の、例えば「心筋梗塞」と言う病気も、エビデンスと言う立場から見ると
どれどれこういう「リスクファクター」があったからという見方が出来ますが、
突然に、そういうものが降って湧いてくるわけではありません。
「生活習慣病」と言う言葉があるように、その人の毎日の生活の中から創り上げられて
きた「病(やまい)」であるともいえます。

すべての病気は、その人自身の生活の中から作り出されてきた「自分病」であるという
風にみることが出来ます。

ある、Aさんの日常生活
ある大会社の企画部長。毎日遅くまで「企画会議」で缶詰状態。最近は会議中にタバコを
吸うことも出来なくなって、却ってストレスが増している。

帰りはほとんど毎日終電近い。不景気のあおりで、残業しても月に50時間以上は「サービス
残業」になってしまう。

家に帰ってからも、会議の余韻で興奮してなかなか寝付けず、ついついアルコールを
睡眠剤代わりに飲まずにはいられない。
食事も、家で帰って取れず外食ばかり。どうしても油物が多くなってしまう。最近、体重も
増えてお腹周りも大きくなり、今まではけていたズボンがきつくなってきた。

たまに早く帰ることが出来ても、妻の日ごろの溜まった不平不満を聞かされるのでイライラ
が却ってつのる。
「あなたは、ぜんぜん家のことをかまってくれない」という妻の声を聞きながらも、
「俺だってこんなに一所懸命やっているんだ。どうして分かってくれないんだ」という言葉を
飲み込んでしまう。
妻は、今年中学受験をする長男のことしか頭になくって、数年前までは作ってくれていた
夕食も最近では「どうせ食べないんでしょ」といって作ってくれなくなった。
どんどんと家の中でも居場所がなくなり、たまの休日に家にいても会話らしい会話もない。

ストレス、ストレス、ストレス。。。。。
そして、仕事場でのストレスを受け止めて癒してくれるはずの「家庭」も日に日に居心地が
悪くなっていってしまう。

自分は何のために生きているのだろ、
そんな風にたまに疑問に思うことはあっても、立ち止まることは許されない。

回転速度を緩めると倒れてしまう駒のように、スピードを緩めることはもはや許されない。
立ち止まって、「ぼくは何のために生きているのか?」なんていう問いを自分に向けるなんて
そんな恐ろしいことはできるはずはない。。。。
油断をすると、「吐き気」のようにこみ上げてくるそんな疑問を押さえつけて毎朝出勤する。


そうこうするうちに、出勤の時に駅の階段を登る時に胸が締め付けられるような感じがしてくる
ようになる。最初はあまり気にも留めずにいたが、だんだんとその程度も強くなり、ある日
突然。。。。。


「症例  45歳男性 
主訴  前胸部痛
既往歴 なし。
現病歴 3ヵ月前から通勤中階段を上ったりするときに、時々前胸部に締め付けられるような
    痛みを自覚するも、1-2分で軽快するため放置。頻度は最初は1週間に2-3度で
    あったが、最近はほとんど毎日のように胸痛を自覚。
    仕事が忙しいという理由で病院を受診することはなかった。
    今回、夜半自宅に帰宅後、入浴中に今までにない胸痛が出現したため、救急車にて
    当院救急外来に搬送される。
    喫煙歴 40本×25年  飲酒歴 ビール350ml×2本をほとんど毎日

身体的所見 身長163cm 体重83.5kg 腹囲93cm 血圧 84/触診 
    脈拍 64  顔面蒼白、苦悶状 全身に冷汗を伴う 心音 3音を聴取 
    呼吸音 両側肺に湿性ラ音を聴取

心電図所見:    前壁・中隔梗塞
胸部レントゲン   両側肺にうっ血所見(心不全の兆候)                       」


    
見事なまでに、「個人の物語」は排除されます。

でも、一個人にとってはどちらが真実なのでしょうか?
今までの医学は、このような「個人の物語」は主観的なものとして、できるだけ排除して
きました。
「客観性だけが科学的である」という強迫観念にも近い思い込みのため、心筋梗塞で激痛に
苦しんでいる患者に対して、どういうリスクファクターがあったのかという客観的な事実に
しか意味を見出せなくなってしまったのでしょうか。


統計学的な事実とはまたまったく別の世界がここにはあります。それが、単なる「リスク
ファクター」という言葉に還元されるや、日常の狂おしいまでの「個人の物語」が「漂白」
され意味合いを失ってくるのです。
ある人が、ある病気になるまでの経過には、単に「リスクファクター」という言葉では
表現しきれない「個人の物語」があります。
同じ病気であっても、100人いれば100の物語があるのです。



次回は、この「個人の物語」という言葉の意味をもう少し、心理学的に掘り下げてみたいと
思います。


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プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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