スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

我儘な人と親切な人とではどちらが幸せか?

世の中には、自分のことばかり考えて、いわゆる「自己中」と言われる人から、いつも人のことを考えて親切な人まで色々な人がいます。

僕たちが何の疑問も持たずに持っている「尺度」からすれば、前者の人は「悪い人」で、後者の人は「良い人」ということになるのではないでしょうか。そりゃそうですよね、我儘な人よりも、親切な人のほうが「素敵な人」なのに決まっていますよね。。。

では、そういう我儘な人にはいつも「罰が当たり」、親切な人には「良い事ばかり起こる」のかというと、現実はどうもそうではないようです。逆に、我儘な人がうまく人生をすりぬけ世渡り上手で、親切な人が泣きを見るということも多いというのが、僕たちの持っている印象かもしれません。

人生ってなんて不公平なんだ!
この世の中には神様はいないのか!


と嘆きたくなるような経験をされたかたも多いのではないでしょうか。


しかし、ここで最初の「尺度」に戻って考えてみると、別な一面が見えてきます。
そもそも、「良い人」とか「悪い人」とかは何を基準に区別されているのでしょうか?ひょっとしたら、この「良い・悪いという区別」と、結果として起こってくる「幸」「不幸」とは全く無関係なのかもしれません。
無関係なものを関係あるものとして錯覚した結果が、上の「人生は不公平」「この世の中には神様なんていない」という嘆きになっているのかもしれません。

そうなのです。「良い人」であるとか「悪い人」であるとかと「幸せ」「不幸せ」とは、実は全く関係がないと言っても過言ではないのです。

例えば、周りからはとても親切で、人気者である人がいるとします。いわゆる「良い人」ですが、その心の中を覗いてみると別な一面が隠れていることがあります。

例えば、自分はこうしたいと思っていても、周りの人が違うことをしようと言ったときに自分の意見を言えないという人は案外多いのではないでしょうか。その時の気持ちをちょっと意識して感じてみると、「自分の意見を言うと、みんなから仲間はずれにされそうな気がする」とか、「みんなと違う意見なのは、きっと自分が間違っているからだ」というような感覚が起こってくるような場合があります。


ちょっと難しい表現をすると、人に対していつも気を使ったり親切にしたりすることによって、『自分の存在価値を証明』しようとしているという風に言うことが出来るのです。
つまり、私たちは自分のありのままであることが一番楽で、自然で幸せでいることが出来るのですが、ありのままである自分自身に対して「価値がある」という感覚が持てないということです。「自己価値感が低い」という表現がされることもあります。
この、『低い自己価値』の原因にはいろいろな事がありますが、それはともかく「低い自己価値」が根元にある「親切」は、自然のありのままの「親切」とは違ってどこかに「しんどさ」や「苦しさ」を伴うのです。

ここは大切なところで、「親切な人は自己価値が低い」ということではありません。人に親切にしている、あるいは出来るということと自己価値とは「関係がない」と言うことを言いたいのです。

ですから、逆に「わがままで自由勝手にふるまう人」も同じです。本当に自分自身を肯定する感覚を持って生きている人もいれば、「自分の周りはすべて自分の敵だ」みたいな感覚で我儘にふるまう人もいます。

親切な人が幸せになるわけでも、不幸せになるわけでもなく
我儘な人が幸せになるわけでも、不幸せになるわけでもない


ということです。ですから、「良い人が幸せになって、悪い人が不幸せになる」なんていう『法則』は、最初からないのです。

じゃあ、どういう人が幸せになれて、どういう人は不幸せになるのか?
という疑問が起こってくるかもしれません。

答えは、「幸せであるとか、不幸せであるとかは、『なる』というものではない」と言うことだと思います。
『なる』というのは、「何かの条件が整えば」ということを意味しています。

仕事が順調にいけば、幸せになれる
お金持ちになれば、幸せになれる

病気になると、不幸せになる。
好きな人と別れると、不幸せになる。

といった具合ですね。

しかし、幸・不幸というものは、「幸せになるためには。。。」とか「不幸せになるのは。。。」という『条件』で決めることが出来るものではないのです。だって、いくらお金が沢山あっても不幸せな人もいますし、病気をしていても幸せな人はいます。

幸せを感じている人が幸せな人であり
不幸せを感じている人が不幸せなのです。

なんだか、禅問答みたいですか?
では、こういう表現ではどうでしょうか。

自分自身をありのままで認めて受け入れることのできる人が幸せな人であり、
自分自身のありのままを受け入れることが出来ない人が不幸せな人である

これではどうでしょうか。

つまり、ありのままの自分を認めた結果として、親切であったり、我儘であったりする人はそのままで「幸せな人」でしょう。
逆に、ありのままの自分に「価値がない」とか「罪悪感を感じたり」とかして、自分以外の何者かになろうと努力したり、心を閉ざしたりしている人は、そのままで「不幸せな人」でしょう。



唯一、「幸せになるための方法」があるとするならば、幸せは「なる」のではなく、「ある」ものだということに気づくことではないかと思います。

ありのままの自分を受け入れて、自分が幸せだと感じれない人は、自分を「価値がない存在だ」と感じさせるものが何なのかに気づくことが出来れば、「幸せになるための道」が開けてきます。

本来、私たちは一人の例外もなく「ありのままで幸せな存在」であったはずなのですが、その道を忘れてしまっているだけなのです。だから、それを思い出しさえすればいいということです。幸せになれない人は一人もいないのです。



スポンサーサイト

Comment

2011.01.07 Fri 11:30  |  管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • #
(編集・削除用)
管理者にだけ表示を許可

Trackback

URL
http://koniy.blog104.fc2.com/tb.php/174-c4d83068
この記事にトラックバック(FC2Blog User)

プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


ツイッターでもつぶやいています。下のボタンをクリックして下さい。

個人セッションのお申込みはコチラ

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

全記事表示リンク

ブログランキングにご協力ください

リンク

Copyright © 小西 康弘
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。