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33年目のプロポーズ

私たち医療者は、「患者さんの病気、疾病、肉体的トラブルを解決する」という立場から、患者さんが少しでも幸せになれるように一所懸命に働いています。いや、そのはずです。

しかし、現代医療では数々の限界があることも事実です。感染症や急性疾患の分野においては確かに『解決』出来る場合もありますが、内科の分野で慢性疾患を扱うことが多く、解決とは程遠いと感じる毎日なのです。糖尿病、高血圧などなどの慢性疾患は確かに薬を内服することで血糖や血圧は下がります。口が渇いたり頭がふらついていた患者さんも薬を内服することで症状も良くなり、元気に日常生活を送れるようになります。それは、とても素晴らしいことです。しかし、一度飲み始めた薬は、基本的には一生涯飲み続けなければなりません。解決と言うよりは、症状をコントロールしている、「一時しのぎ」とも言えるでしょう。また、現代医療では治すことが出来ない病気もまだまだたくさんあり、「難病」とか「不治の病」とかいった風に表現されます。

こういったことを繰り返しているうちに、いや、おそらく医者になる教育を受けて医者になった瞬間から、私たち医療者は肉体に起こってきた「トラブル」はすべて取り除かなければいけないと思ってしまいます。そして、トラブルが取り除けなかったときには、『敗北』したと感じるのです。患者さんの病気が治って元気に退院されていく姿を見た時には『勝利感』を感じ、残念ながら病気が治らずに最期を迎えられて退院されるときには、言葉にできない『敗北感』を感じます。そういう勝利や敗北を重ねるにつれて、私たち医療者はだんだんと、敗北感を感じるということを心の奥底に押し隠すようになるのです。それは、一つ一つの敗北を心の繊細な部分で感じるということがとても辛いからです。ベールで包むことでこれ以上傷つくことを避けようとするのです。

病気を治せなければ、それは『敗北』だ

普段意識して感じることはないにしても、このようなビリーフ(潜在意識の思い込み)は多かれ少なかれ、多くの医療者が持っていると思います。患者さんが病気が治って元気になることが嬉しいという「愛の気持ち」が、いつの間からか「病気を治さなければいけない」「病気を治せないことは敗北だ」に置き換わっていってしまうのです。それにつれて、最初は愛にあふれていた心もいつの間にか、ネガティブな感情を押し殺し、時には傷つく心を守るために氷のように凍りついてしまう。。。

私自身、3年くらい前にそこで行き詰ってしまい、それまでの医者として生き続けることが苦しくなってきました。患者さんが目の前で亡くなっていく姿を見ても何も感じなくなってきたのです。それは、二つとないかけがえのない人生を終えられた人に対する気持ちではなく、まるで「ひとつの物体」を見ているような、そんな感じでした。そして、医者としてではなく、一人の人間として自分の内面を見つめると言う作業を始めた時に、上のような「信念体系(ビリーフ)」が自分の中にあったことに気がついたのです。


私は、現在岡部明美さんと一緒に「セラピスト&カウンセラー養成講座」をさせていただいていますが、岐阜県の関市で行われている養成講座の受講者さんのご主人が末期の胃癌で亡くなられました。私も、直前になってこのことを知り、「病院における医者と患者、あるいは家族」という立場ではなく、「同じ一人の人間と人間」と言う立場で少しだけ関わることが出来ました。

以下は、岡部明美さんが「日記」の中で書かれた文章の一部です。岡部さん、Kさん、雅恵さんの許可を得てここに引用させていただきます。


亡くなられたKちゃんのご主人は、関市での私の講演会に来てくださり、二年半前に癌の手術で入院するとき病室に雅恵さん(講座主催者)から貸してもらった私の本を持っていかれ毎日読んでいたとお話を伺いました。
Kちゃんのご主人は、転移が見つかり抗癌剤治療を続けましたが、主治医から「もうあなたの治療に使う薬はありません」と言われ、自宅で代替医療を模索しながらやっていました。
私は、前回の関での養成講座の後にKちゃんのご主人のお見舞に行きました。私は、Kちゃんがご主人との意思疎通、コミュニケーションがうまくいかず悩まれていたことを知っていました。

私がご自宅にお見舞に行った時、ご主人は、涙ながらに、「K子には本当によくしてもらった。世界一の女房だと思います。それなのに今までぼくはK子に“ありがとう”も“ゴメンネ”も言わず、虫の居所が悪いとK子に当たりちらし・・ケンカをすると何カ月も口をきかなかったりしてK子を苦しめてきました・・・」
ご主人はいままで自分がしてきたことをKちゃんに謝り、感謝の気持ちを伝えられました。Kちゃんは眼を潤ませて聴いていました。私はお二人の馴れ初めをお聞きしました。お見合いだったので、ご主人はプロポーズの言葉をあらためて言わなかったと言うので、「じゃあ、今言っちゃいましょうかあ」と私が笑いながら言うと、ご主人は照れながらもこう言ったのです。

「K子、ぼくは今ここで君に33年目のプロポーズをするよ。ぼくと結婚してください!」
「K子、ぼくはこの病気をなんとしてでも治して、君と一緒にお遍路したい夢があるんだ。K子、ぼくは生きるよ!生きるからね」

そう言って、ご主人はKちゃんを抱擁されました。私も見ていて涙が溢れました。Kちゃんが後で「あけみちゃん、いろいろあった夫婦だったからこそ、主人の言ってくれた言葉が涙が出るほどうれしかった。あの言葉を聞いたら今までのことなんてもうどうでもいいって思った。まさか主人があけみちゃんの前で私に33年目のプロポーズをしてくれるなんて思いもよらなかった。あけみちゃん、私今とても幸せだよ」

私は、「間にあってよかった」と思いました。ご主人は、帰り際にとても透明な表情をして私にこう言われました。それは、私自身がかつて死に直面しながら日々を生きていた時と同じ気持ちだったのでとても共感しました。

「あけみさん、ぼくはこの病気になって初めて、こうして今生きていること、生かされていることがうれしくて、なんでもないようなことがただ幸せで仕方がないんです」

あの日から2週間後にKちゃんのご主人は旅立たれましたが、いつか必ずお別れの時がくるさだめを生きている夫婦が、人生の最後にお互いの本当の気持ちを伝えあってお別れすることができて本当によかったと思いました。ご主人のKちゃんへの33年目のプロポーズは、きっと「来世も一緒になろうね」っていうことだったのかもしれません・・・。



私は、この日記を読んだ時に心が震え涙を止めることが出来ませんでした。ここには、病気を一つの「トラブル」と捉え、解決しなければそれは敗北だ、という私たち医療者の「勝手な思いあがり」を超えた、他のものには代え難い神聖な人間の姿があります。死に至る病ではあったけれど、いや、そうであったおかげで、Kさんとその御主人は繋がりなおすことが出来、33年目のプロポーズが出来たような気がします。そこには、第三者の勝手な判断や評価を受け付けない神聖さがあります。

確かに、病気は治らないよりは治ったほうがいいのかもしれません。でも、病気が治らないことが人間が幸せになれない理由にはならないのではないでしょうか。医療者側も、また患者の側もその「思い込み」を超えることが出来た時、新しい医療の形が見えてくるように感じます。
病気を持ったままでも、あるいは病気を持っていることで、病気に感謝の気持ちすら持って生きていくことが出来る。そういう関わりかたが出来る医療の形を教えてもらったような気がするのです。

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プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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