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「手放す」事に対する抵抗

私たちの潜在意識の中には、「思い込み(信念体系、ビリーフ)」というものがあって、それが気づかない間に私たちの生き方を「制限」したり「抑圧」したりするという話をしているときの事です。これらの「思い込み」を手放していくと楽な生き方が出来るようになりますよという時に、この「手放す」あるいは、「クリーニングする」という言葉に妙に反応される場合があります。

「私たちがありのままでとても尊い存在と言うのなら、どうして手放さないといけないのですか」と言うことのようです。

なるほど、確かにわたしは「ありのままの自分を受け入れる」とか「今の自分自身を肯定する」ということも書いてきました。だから、これらの「思い込み」もそれを認めてそのままで受け入れて行くべきではないかという「理屈」ですね。


「論理的」にはその方のおっしゃることもわからないわけではありませんが、でもこのような「論理的な思考」こそが、「変わることを恐れる」エゴのなせる技なのです。


「手放す」「クリーニングする」という言葉だけをとってみると、確かに自分の中に「良くない部分」があって、それをなくさないと「本当の自分にはなれない」という風に捉えられるかもしれません。

確かに、精神性を追求されている人々の中には自分の中にある「闇の部分」を敵対視して、これをなくさないと自分は価値がない存在であるかのように身を削るような努力をされている人もおられます。そういう人は、他人に対しても厳しい目を持っていて、知らず知らずのうちに『ジャッジメント』をしています。わたしは、このようなあり方は本当ではないという意味で、「ありのままの自分を受け入れることは大切だ」という風に書いています。
「自分の中にある『闇の部分』をなくそうとか、否定しようとするのではなくただそこに光を当てるだけで、しぜんと『闇の部分』は溶けて行く」と表現したこともあります。

『ジャッジメント』をしている限り、ジャッジする側とされる側とが統合されることは永遠にありません。自分自身に対してのジャッジメントは、自分自身の「分裂」です。
「闇の部分」を、自分自身の中にある一部分として受け入れるということは、この「分裂」を一段高い次元からとらえ直そうと言う試みです。一段高い次元から、このジャッジしている自分とジャッジされている自分とがいることを捉え直すと、どちらもそれぞれ一所懸命に自分のために生きてくれているのだなぁと「感謝」の気持ちが湧き起ってくるのです。
そして、この感謝の気持ちこそが、闇の部分に光を照らし、闇を溶かすということです。闇の部分を敵視して失くさないといけないと思うこととは全然次元が違うことなのです。



私たちは、生まれたばかりの本来の姿はとても喜びにあふれ屈託なく自分の生命を謳歌している存在です。それが、いろいろな「思い込み」のために、本来の姿でいられなくなっているのが私たちの現状なのです。だから、これらの「思い込み」を手放すということは、決して「自分の中の悪い部分を除去する」というようなネガティブな意味ではなくて、本来の自分自身に戻るための『作業』だといってもいいのです。

そもそも、どうしてこれらの「思い込み」が自分の本来の姿を覆い隠してしまったのかと言うと、そうしなければとても辛くて生きていけないような経験をしてきたからです。これらの「辛い経験」から自分を守るためには、「思い込み」という「仮布」で本来の自分を覆い隠さないと生きていられなかったからなのです。けっして、「必要のないネガティブな部分」ではないのです。
ただ、本来の自分自身に戻るためにはこの「仮布」はもう必要がないということです。だから、もう必要なくなった「仮布」を元のあったところに返す作業が必要だということです。
「思い込み」という仮布で覆われている現状の私たちは、「ありのままの姿」ではありません。本来の自分自身に戻るためには、「仮布」を脱ぎ捨て「脱皮」するという作業が必要です。この脱皮するという作業は、あるときには痛みや恐怖を伴います。
普段の自分は「仮布」をまとった姿が本来の自分だと勘違いしていますから、この「仮布」をはがすことは自分自身が存在できなくなるような恐怖心を起こしても無理はありません。
しかし、さなぎが脱皮して美しい蝶々になるのと同じように、私たちはみんな本来は美しい蝶々になることが出来るのです。そのための「通過儀礼」にはある程度の痛みが伴うということです。


「手放す」とか「クリーニングする」という言葉に対してのひっかかりは、この通過儀礼に対する「抵抗」に他なりません。それは、脱皮して変態することに対する恐怖です。当然起こってくることです。
ですから、いろいろと変わらないための「言い訳」を見つけることで納得しようとしているのです。


それが、良いとか悪いとかいうことではありません。ただ、そういう「深層心理の機序」が働いているということです。そういうことを知った上で、自分はどうしたいのか選択することは、他の誰にも出来ないのです。
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プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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