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「ナラティブな医療」

いよいよ年も押し迫ってきました。去年や一昨年はとにかくいろいろなものを吸収しようと思ってあちらこちらに飛び回っていたのに対して、今年は私にとっては比較的「静」の年であったように思います。

今まで書いてきたブログの内容を少し読み返す時間をもてました。そこで、何度も出てくる言葉をキーワードにして、索引のようなものを作ってみるのもいいかなと思いました。

今回は、「ナラティブ」と言う言葉を使っている過去のブログについてまとめてみました。


その前に、私の使っている「ナラティブ」と言うのは精神療法としての「ナラティブセラピー」とは違っています。

「医療現場にナラティブという視点を導入する意義」という記事の中で斉藤教授が使っておられるような意味だとご理解の上参考にしてください。



エビデンスとナラティブhttp://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-72.html


「心の性向」は科学できるか?http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-75.html


物語性からみた代替医療http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-80.html


代替医療の「リスク」http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-83.html


それぞれの役割http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-82.html


治療を受ける側の要因http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-90.html


生活習慣病の原因http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-91.html


「代替・補完」の意味(私見)http://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-92.html


ナラティブに寄り添うことhttp://koniy.blog104.fc2.com/blog-entry-96.html
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治療を受ける側の要因

西洋医学にしても代替補完療法にしても、同じ治療や施術をしてもその効果が違って
くるのはどういうことだろうか?ということに対して僕の考えていることを書きたい
と思います。


現代医療ではある「治療法」があるとき、その治療効果を「奏効率」と言ってパーセント
であらわします。つまり、同じ治療を100人の人に行った場合に何人の人が効果を
表すかということを数字で表現するのです。それは「著効あり」「効果あり」「不変」
「効果なし」と4グループに分けてそれぞれ数値化されます。
代替療法の場合には、何をもって「著効あり」とし、何を持って「効果なし」とするか
という「基準」があいまいであるため、治療効果を数値化することが難しいという問題が
ありますが、このことについてはまた別に書きたいと思います。

とにかくどちらの場合にしても「治療効果」という場合には、あくまで治療法のほうに
に焦点を絞って、効いた効かないという議論がなされるわけです。


これに対して、治療を受ける側の「条件」(これを「ホスト側要因」と言います)に
焦点を移して考えてみるとどうなるでしょうか。
実はこの「ホスト側要因」こそが同じ治療を受けても、人によって効果が様々である
原因なのです。しかし、その実態を解明するということは決して容易ではありません。


もちろん、年齢とか身長、体重、あるいは検査データーなどの目に見える要因も
「ホスト側の要因」ですから、臨床試験などでは出来るだけそういった条件がそろう
様に考慮されます。

しかし、一般的には「ホスト側要因」というと、「自然治癒力」という言葉と同様に
とても漠然としたもので捉えにくいものです。

それでは、ちょっと具体的に「自然治癒力」を反映していると思われる「ホルモンの
バランス状態」とか「免疫の状態」とか、「自律神経のバランス」についてはどう
でしょうか。
確かにこれらの要因は、「ホスト側の要因」とか「自然治癒力」というよりは少し、
具体的な印象がありますね。全体ではないけれども、その一部を反映している可能性
があります。

しかしこれらの要因も、治療効果に影響を与える可能性が十分にあるにもかかわらず、
「臨床試験」などで考慮されることはありません。
いや、本来であれば検討したほうがいいのですが、把握する方法がないと言ってもいい
のです。

「ホルモンのバランス状態」といっても何を持って「ホルモンのバランス」というのか
が定義することができません。「免疫の状態」や「自律神経」についても同様です。
血液中のリンパ球の数や、アドレナリンやノルアドレナリンというホルモンの濃度を測る
ことは可能ですが、それが「治療を受ける側の条件」をどれほど反映しているかは
非常に不確定です。



「ホスト側要因」を別の表現をすると「ホメオスターシス」とも表現できます。これは
生体内環境の恒常性という意味で、生体は常にその環境をいつも同じように保とうとする
働きがあるということです。そして、そのホメオスターシスの維持にさきほどあげた
ホルモン系、免疫系、自律神経系が非常に重要な働きをしていることは分かっています。


病気の状態というのは、このホメオスターシスが乱れている状態ということです。
ある治療を行ったときに、その効果が低いというのは使用した薬側の問題ではなくて
治療を受けた側の「ホメオスターシス」のバランスの乱れの状態によるのだということ
だと思います。
あくまで、ある治療はバランスを乱れた状態を戻すことを手伝いますが、戻るかどうかは
治療を受けた側の要因だということです。

今の現代医療では、治療を行った時にホスト側が「バランスを取り戻しやすい状態にする」
ためにはどうしたらいいかということは考慮されません。治療効果を上げるためには、
すこしでも「強い薬」を開発することが優先されているというのが現状なのです。

もちろん、少しでも治療効果の高い薬を開発することは、一人でも多くの患者さんを
治すという意味では悪いことではないのかもしれませんが、「新薬の開発競争」は
とめどがありません。
少し見方を変えてホスト側が「バランスを取り戻しやすくする」ための条件を考えて
いくことがこれからは必要になってくるのではないかと思います。


わたしは、この「バランスの乱れたホメオスターシス」を整える大きなカギとして
今まで西洋医学がほとんど無視してきたと言ってもいい「心や精神の状態」があると
思っています。(もちろんそれがすべてでなどと極論しているわけではありません)

分かりやすく言えば、
笑って暮らしている人と泣いて暮らしてばかりいる人とではどちらが
病気になりにくく、病気になっても治りやすいか
ということです。

今までは、こういう内容は「血液型占い」と同じレベルでの捉え方しかされていなかった
様に思いますが、これからはきっちりと研究対象として取り扱っていくべきテーマで
あると思います。




エビデンスとナラティブ

一人の人の、例えば「心筋梗塞」と言う病気も、エビデンスと言う立場から見ると
どれどれこういう「リスクファクター」があったからという見方が出来ますが、
突然に、そういうものが降って湧いてくるわけではありません。
「生活習慣病」と言う言葉があるように、その人の毎日の生活の中から創り上げられて
きた「病(やまい)」であるともいえます。

すべての病気は、その人自身の生活の中から作り出されてきた「自分病」であるという
風にみることが出来ます。

ある、Aさんの日常生活
ある大会社の企画部長。毎日遅くまで「企画会議」で缶詰状態。最近は会議中にタバコを
吸うことも出来なくなって、却ってストレスが増している。

帰りはほとんど毎日終電近い。不景気のあおりで、残業しても月に50時間以上は「サービス
残業」になってしまう。

家に帰ってからも、会議の余韻で興奮してなかなか寝付けず、ついついアルコールを
睡眠剤代わりに飲まずにはいられない。
食事も、家で帰って取れず外食ばかり。どうしても油物が多くなってしまう。最近、体重も
増えてお腹周りも大きくなり、今まではけていたズボンがきつくなってきた。

たまに早く帰ることが出来ても、妻の日ごろの溜まった不平不満を聞かされるのでイライラ
が却ってつのる。
「あなたは、ぜんぜん家のことをかまってくれない」という妻の声を聞きながらも、
「俺だってこんなに一所懸命やっているんだ。どうして分かってくれないんだ」という言葉を
飲み込んでしまう。
妻は、今年中学受験をする長男のことしか頭になくって、数年前までは作ってくれていた
夕食も最近では「どうせ食べないんでしょ」といって作ってくれなくなった。
どんどんと家の中でも居場所がなくなり、たまの休日に家にいても会話らしい会話もない。

ストレス、ストレス、ストレス。。。。。
そして、仕事場でのストレスを受け止めて癒してくれるはずの「家庭」も日に日に居心地が
悪くなっていってしまう。

自分は何のために生きているのだろ、
そんな風にたまに疑問に思うことはあっても、立ち止まることは許されない。

回転速度を緩めると倒れてしまう駒のように、スピードを緩めることはもはや許されない。
立ち止まって、「ぼくは何のために生きているのか?」なんていう問いを自分に向けるなんて
そんな恐ろしいことはできるはずはない。。。。
油断をすると、「吐き気」のようにこみ上げてくるそんな疑問を押さえつけて毎朝出勤する。


そうこうするうちに、出勤の時に駅の階段を登る時に胸が締め付けられるような感じがしてくる
ようになる。最初はあまり気にも留めずにいたが、だんだんとその程度も強くなり、ある日
突然。。。。。


「症例  45歳男性 
主訴  前胸部痛
既往歴 なし。
現病歴 3ヵ月前から通勤中階段を上ったりするときに、時々前胸部に締め付けられるような
    痛みを自覚するも、1-2分で軽快するため放置。頻度は最初は1週間に2-3度で
    あったが、最近はほとんど毎日のように胸痛を自覚。
    仕事が忙しいという理由で病院を受診することはなかった。
    今回、夜半自宅に帰宅後、入浴中に今までにない胸痛が出現したため、救急車にて
    当院救急外来に搬送される。
    喫煙歴 40本×25年  飲酒歴 ビール350ml×2本をほとんど毎日

身体的所見 身長163cm 体重83.5kg 腹囲93cm 血圧 84/触診 
    脈拍 64  顔面蒼白、苦悶状 全身に冷汗を伴う 心音 3音を聴取 
    呼吸音 両側肺に湿性ラ音を聴取

心電図所見:    前壁・中隔梗塞
胸部レントゲン   両側肺にうっ血所見(心不全の兆候)                       」


    
見事なまでに、「個人の物語」は排除されます。

でも、一個人にとってはどちらが真実なのでしょうか?
今までの医学は、このような「個人の物語」は主観的なものとして、できるだけ排除して
きました。
「客観性だけが科学的である」という強迫観念にも近い思い込みのため、心筋梗塞で激痛に
苦しんでいる患者に対して、どういうリスクファクターがあったのかという客観的な事実に
しか意味を見出せなくなってしまったのでしょうか。


統計学的な事実とはまたまったく別の世界がここにはあります。それが、単なる「リスク
ファクター」という言葉に還元されるや、日常の狂おしいまでの「個人の物語」が「漂白」
され意味合いを失ってくるのです。
ある人が、ある病気になるまでの経過には、単に「リスクファクター」という言葉では
表現しきれない「個人の物語」があります。
同じ病気であっても、100人いれば100の物語があるのです。



次回は、この「個人の物語」という言葉の意味をもう少し、心理学的に掘り下げてみたいと
思います。


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統計学的事実の「盲点」

昨日は、現時点で「代替補完療法」を既存の科学的な手法で、その効果を「評価する」こと
は困難があるという話を書きました。どうして、評価することが困難なのかについてはもっと
詳しく書きたいのですが、その前に西洋医学で重要な意味を持つ「エビデンス」ということの
意味を考えてみたいと思います。

「エビデンス」とは証拠・根拠と言う意味で、私たち医者は、あらゆる治療行為はエビデンスに
基づいて
行われなければいけないというふうに教育を受けてきました。
つまり、「たぶんこうだろう」とか「こんな感じ?」という主観的なあいまいな理由で治療行為を
行うことに対する戒めなのです。
それは治療を受ける側の人の安全を確保すると言う意味で、いまも重要な意味を持つことには
変わりがありません。しかし、あまりにも「エビデンス」偏重主義であるため見失われた物が
あるのではないかということが最近言われてきています。
そういうことについて、これから数日間をかけて書いていきます。
そして、病気の持つ意味について考えたうえで、「代替補完療法」がどういう役割を果たしうる
のかについて考察したいと思います。



現在、私は「訪問診療」専門のクリニックで働いています。おもに老人ホームなどの施設を
中心に往診でまわっています。施設では80歳以上の方が大半を占めます。

老人ホームには、もちろんいろいろな疾患を持ってたくさんのお薬を飲んでおられる方
(いわゆる「患者さん」)もおられるのですが、ほとんど今まで病院には罹ったことがない
という方(いわゆる「健常者」)もたくさんおられるのです。
今まで病院に勤務していた時には「患者さん」としか接する機会がなかったのですが、
「健常者」のかたと接するようになってひとつのことに気づきました。


「健常者」の方でも、施設に入所されるときには希望があれば、採血検査をしたり定期的な
診察を行うのですが、それらの方の中にはLDLコレステロール(「悪玉コレステロール」と
言われているもの)が200近かったり(正常は140以下)、血圧が200近かったり
する方もおられるのです。時には驚くほどコントロール状態の悪い糖尿病が見つかることも
あります。
よく知られているように、悪玉コレステロールや血圧が高いとか糖尿病は「動脈硬化」の
リスクファクターであり、そういう状態を長い間放置していると、心筋梗塞や脳梗塞などの
病気を発症する危険性が高いとされています。
そして、私たち医者もそういう方が病院に来られたらためらうことなく、薬物投与で治療を
開始します。
これらのリスク・ファクターというのは「二重盲検比較試験」で科学的に証明されているものです。

そして、私たち医療者はこの「エビデンスに基づいて治療(EBM)」を行います。
それは医者として正しい判断なのですが、そういう今まで何の疑問も抱いて来なかった「判断」を
超えたところで、これらの「健常者」の方たちはお元気に生活されていると言う事実には
少なからぬ衝撃を受けました。

二重盲検比較試験には思わぬ「盲点」があるのではないか、というのはそういうことです。
数字的に何%と示されると、私たちはそれが「絶対的な揺るがしがたい事実である」かのように
錯覚してしまいますが、個別に眼を向けると決してそうとは限らないということが
わかります。


「リスク」というのは、全体のパーセントで評価された「統計学的な事実」です。つまり、
二重盲検比較試験で、悪玉コレステロールが160以上の人と140以下の人の2つの
グループで、心筋梗塞を発症するパーセントを比較して統計学的に有意差があれば、
「悪玉コレステロールが高い人は心筋梗塞を発症するリスクが高い」という『事実』
になるわけです。その事実は決して間違ってはいませんし、決して侮ってはいけません。

しかし、個別で見ると悪玉コレステロールが200近くてもまったくぴんぴんとしている人も
いるし、逆にそういう動脈硬化のリスクファクターがひとつも見当たらないのに、発病される
方もいます。

集団としては決して間違っていない「事実」も、個別で見ると疑問を挟む余地が出てくる、
というかもっと深いところには「別の事実」が隠れている可能性がある、ということだと
思います。
それは、決して統計学的に示された「事実」を無視していいということではありません。
ただ、病気の発症を規定するのは私たちが考えるレベルの「リスク・ファクター」だけで
はないということが重要です。ひょっとしたら、もっと大きな「発病」を規定する要素が
ある可能性があるということです。



統計学として明らかにされた「事実」を決して軽んずると言うことではありませんが、そういう
統計的事実とは別に、個別的な事実と言う物があるということを私たちは忘れてはいけないのだ
と思います。そうしないと、この統計学的な事実の盲点(二重盲検比較試験の盲点)に引っか
かってしまう可能性があります。つまり、統計学的事実がすべてではないということです。



では、私たちが通常考える「リスクファクター」を上回る「要因」としてはどのようなものが
考えうるのでしょうか。次回はそのことについて少し考察してみたいと思います。




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プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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