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「信念」が世界を創っているということ

私たちは、普段はあまり意識することはありませんが、自分の「信念」という世界の中で生きています。つまり、「自分はこう思う」という世界に囲まれて生きているということです。

「自分はこう思う」というふうにはいちいち思うことはなくても、自分が見たり感じたり、あるいは考えたりするすべての感覚や思考はすべて、この自分の「信念」からはみ出ることはないのです。
そして、「この世で生きていくことは楽しい」と思うのも「この世で生きていくことはつらい」と思うのも、実は「この世」が決めているのではなくて、自分が「この世」に対して持っている「信念」が決めているのです。


バイロンケイティーワークという「信念」を書き換えるワークについてこちらのアメブロ載せています。
http://amba.to/ibfTHL
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安心して自分の「心の闇」に向き合える場所

先日、ツイッターに下のようなつぶやきを書き込みました。

こんなにも努力しているのに満たされない、これだけの成功を収めたのに満たされない、という気持ちがある場合、その根底には低い自己価値や自己信頼が関係していることがあります。 http://bit.ly/dkWmP6

言い換えると、幸せを感じたり豊かさを感じたりすることに何らかのブロックや罪悪感がある場合があるのです。その奥には、自分はそんな幸せや豊かさを受け取る価値がないという「思い込み(信念体系)」が隠れている場合があります。

それを読んで下さったフォロワーの方から、レスをいただきました。以下そのやり取りです。(これはご本人様の許可をいただいて引用しています。)

Oさん:私も、「成功」している方だと思いますが、周囲の人が認めていないと僻んだ言動をとりがちです。原因は自分の父親にあるとまでは分かったのですがどうしたらいいのでしょうか?

私:ちょっと前のわたしもそうでしたが、「成功者」の中には、幼いころの両親の関係でトラウマが残っていて、「がんばらないと自分は価値がない、愛してもらえない」という「思い込み」がある場合があります。そして、がんばってしまった結果「成功」しただけなのです。
そういう人は、社会的に経済的に「成功」しても、なんだか心の中が満たされていない場合があります。だって、「なにもしなくても、そのままで自分は価値のある愛される存在である」と思えないのですから。それだと、生きていくのがとてもしんどいのですね。

Oさん:だからじっとしていられません。よく、人様からは「努力家」だと言われますが、努力しない人努力を認めない人をすぐに嫌いになってしまいます。「無為」に憧れます。

私: 「 なにもしなくても、そのままで自分は価値のある愛される存在である」と思えない 原因に幼い頃のお父様との関係性が関係しているのかもしれませんね。色々なワークでそこら辺を掘り下げて行くといいかもしれません。


Oさん:幼い時のことだけでなく現在進行形なので原因は考えるまでもないくらいです。他人だったら唾棄すべき存在として無視すれば済むことなのに、つい、血のつながった父なのだから(自分とは不可分の存在)という意識が払底できないので苦しいのです。父は私の苦しみなど知ろうとしない。


私:本当はお父さんが問題なのではなく、そのように捉え.感じている自分の問題なんですね(^-^) その事に気づくと感じ方が全く変わって来ます。

Oさん:それは心理学でも宗教(仏教)でも同じこと言いますね。一般的な「他者」に対してなら自分でもそういう捉え方できます。ただ、生活歴を共有している肉親となるとそう簡単ではないと思います。要は「他者」の一人としてつき放せ、ということですか?できるならそうしたいです。


私には、Oさんが幼いころから抱いてこられた苦しみや葛藤、怒り、
憎しみをあれこれとさも訳知り顔に「評論」することは出来ません。
人以上にとても辛い思いをたくさんされて来たのだと思います。
筆舌に尽くしがたい思いをたくさんされたのだと思います。

そして、幼いころのお父さんと同様に今目の前にいる、お父さんを
「唾棄するべき存在」と感じられているのです。

言葉でいくら「自分が生まれてきたのはお父さんがいたからなのだから
感謝しないといけない」と言ってみたところで、Oさんの悲しみの
1%も理解したことにはなりません。
それほどに、肉親の間に「こびりついてしまい、固着してしまった感情」
は大きいのです。

しかし、いつまでもOさんがこの状態のままでいたらOさん自身が幸せに
なることはできないだろうということも事実です。
やはり、どこかで「気づき」と「変容」の時が必要なのだとも思います。


Oさんにまず必要なのは、ズタズタになってどうしようもなくなって
しまったOさん自身のインナーチャイルドにOさん自身が寄り添い、
受け入れてあげることなのかもしれません。

安心してそれが出来る場所の提供

私にできることは、それしかないのです。

安心して、自分の心の中に封印してきた「心の闇」を受け入れ抱くことが
出来た時、ひとは皆、自ら勝手に光を放ち輝き始めるのだと、私は
深く実感しています。
Oさん以上に、「壮絶な人生」を送ってこられたたくさんの方が、自分の
心の闇を受け入れたとき、まばゆいばかりの光を放ち始められる場面に
何度か遭遇して、そう感じているのです。だから、Oさんもきっと
そうなることが出来ると信じてほしいのです。

私は今、岡部明美さんと協力し合ってこれからもいろいろとそういう
「本当の自分自身に帰れる場所づくり」に向かっていきたいと思って
います。
http://anatase.net/

「成功者」と「成幸者」

私たちは、日々の生活の中で「成功するために努力している」といって
いいかもしれません。そして、そのことに何の疑問も感じないことが
多いのではないでしょうか。私のその中の一人でした。

私は、高校のときからいわゆる「進学校」という高校に行って、大学も
医学部に入り、社会的には高いステータスがあるといわれる「医者」に
なりました。
医師としても、比較的恵まれた環境で研修をすることが出来、大学では
自分の気ままにさせてもらいながら博士号の習得もすることが出来
ました。
大学を離れてからは、地域病院に赴任し5年間勤めたときには副院長
にまでなっていました。

いわゆる「社会的成功」という尺度で見てみると、私はその時順風万帆の
成功者だったということになります。

しかし、心の中は何か満たされていませんでした。

これが本当の自分の望んでいる人生なのだろうか?

そういった疑問が常に頭の中について回っていました。そして、副院長に
なってしばらくしてから、やることなすことすべて院長と意見が合わず
対立するようになるのです。心理学的には「権威との葛藤」と言われます。

そして、生きることに行き詰ってしまったことが、いろいろなセミナーや
ワークショップを受け始めるきっかけになりました。

そこで最初に出会ったのが「ビジョン心理学」と言われるもので、私たち
の成長過程を

「依存」→「自立」→「相互依存(共同創造)」

と言われる3つのステージを経ていくと教えてもらいました。そして、
ちょうど自分が「自立」の最終ステージである「デッド・ゾーン」と
言われる「罠」に完全にはまっていると言うことがわかったのです。


小さいころから、私は人一倍努力をする子供でした。勉強することを
苦痛に思ったことがなかったと言ってもいいでしょう。
ところが、いろいろと人間の心理を勉強して行った時に、自分の
努力を苦痛と思わない気持ちの奥には

「自分は努力をし続けなければ価値がない」
「完璧でなければ価値がない」
「愛されるためには完璧を目指さなければいけない」

といったさまざまな「思い込み(信念体系)」があることに気づいた
のです。

さらに加えて、

「成功するためにはいろいろな苦難を乗り越えなければいけない」
「苦難を経験していない成功には意味がない」

といった「思い込み(信念体系)」までがあったのです。

色々な苦労を経験して、努力し続けることで私はやっと「人にも愛して
もらう価値のある存在になることが出来る」ということです。
つまり、努力し苦労し続けない限り、私は「価値のある存在」になる
事が出来ないということです。
考えてみればこれほどの「苦しみ」があるでしょうか。

そして、このような「思い込み」が、哲学的な思索や高等な思弁の結果
出てきたのではなく、実に「幼い時の体験」が刷り込まれた結果だった
のです。

人間はなにも、高尚な思索や思弁で生きることが出来る存在ではないの
です。
ただ、無条件に抱きしめ受け入れてもらえるだけで光り輝くのです。

幼い時にこのような無条件の愛を経験することが出来なかったとき、
私たちはあらゆる犠牲を払ってでもそれを手に入れようともがきます。

「無条件で愛される価値のない自分」を少しでも愛してもらいたい
ために、いろいろな「思い込み(信念体系)」で自分を守ろうとします。
そして、時にその「思い込み(信念体系)」自身が己の身を滅ぼすこと
さえあるのです。

「権威との葛藤」とは、幼い時に父親からの愛を十分に受けることが
出来なかったときの「不十分感」から発生します。
大人になってから、父親に対して復讐しようとしていると言い換えても
良いかもしれません。しかし、その奥にあるのは「愛して欲しい」という
気持ちだけなのです。

「どうして、ぼくが子どものときにもっと愛してくれなかったんだ」
「ぼくはただただ、お父さんに愛して欲しかっただけなのに」

自分の中に、「未消化のままで残っている」子供のころの感情が
あるということに気づき、それを受け入れることで大きな変容が訪れ
ます。

グループワークで、
「おとうちゃん、ぼくのことを愛しているといってくれよー」
と大声で泣き叫ぶ「会社の経営者」が、そのあとで別人のようにすっきり
とした笑顔を浮かべられるのを見るのにつれ、人間と言うのは社会的
にどれほど成功しているとかではなく、「無条件に愛されているんだ」
「ありのままで受け入れられているんんだ」と実感できることがとても
大切なのだと感じずにはいられません。

そのような「変容」を経験した人は、何者かになろうとする必要はなく
ただありのままで愛される価値があると思えるようになります。
努力をし続けて、「成功しないと愛してもらえない」というのではなく
ただありのままで受け入れられているということを、日常の生活で感じ
続けていることで、『結果として』まわりに愛情に満たされた人たちが
集まり、愛に満たされたネットワークが出来はじめ、「成幸」して
いくのです。

そして、そのような人こそが「成幸」と「成功」とが一致していくの
です。

感情のエネルギーのダイナミクス

私たちは日々の生活の中で、いろいろな人間関係の中でいろいろな事を
考えたり感じたりし生きています。そういった私たちの日常生活は
ほとんどすべてが「人間関係」で成り立っていると言っても過言では
ありません。

そういった「人間関係」のなかで、喜びや悲しみ、怒りや感動などを
感じて生きることが人生そのものだと思います。

私たちは、自分の感覚や感情を中心に生きているので、それに対して
疑問を持つということが余りありません。例えば、自分の気に入らない
相手の人に対して「怒り」を感じる時に

「自分が今感じているこの怒りは、本当なのだろうか」

などと感じる暇があったら、たちまち怒りのほうから逃げて行ってしまう
でしょう。
意識しているしていないにかかわらず、私たちが感じる「感情」は
間髪をおかず、私たちの心を占拠するのです。それが、私たちの普通の
心の動きです。

しかし、少し考えてみると「疑問のない怒り」とか「疑いようの
ない正義」と言ったものがこの世にあるのでしょうか?
怒りの渦中にある自分にとっては、その時は「疑いがない」と
思えるかもしれませんが、ちょっと頭を冷やしてみると「見当はずれ」
だったということは良くあることです。

そういう意味で、私たちの感じる「感情」というのは時としてとても
強いエネルギーをもちますが、(このエネルギーの強さゆえに、私たち
はその感情が「絶対的だ」と勘違いしているだけなのです)移ろい
やすいものです。

自分の気に入らない相手に対して、私たちはいろいろな「理由」を
見つけます。その「理由」のゆえに、相手のことを気に入らないと
思っています。しかし、これは事実ではありません。

本当は、最初に「怒り」があるのです。そして、それをぶつける相手が
見つかるとここぞとばかり、ため込んでいたエネルギーを「相手」に
ぶつけているだけなのです。

この「感情のダイナミクス」が分かってくると、人間関係の中で相手に
責任を押し付けることはなくなります。
相手が原因だと思っていたことが、実は自分自身の中に原因があると
いうことなのですから。そして、この「真の原因」を掘り下げて行く
ことが、同じパターンを繰り返さないで「楽チンな人生」を送るための
大きな手掛かりになるのだと思います。



「エゴ」とは、変わることを怖れている自分の中の一部分

「変わりたい」
「今の自分を変えたい」
「もっと幸せになりたい」

そんな気持ちは、きっと多くの方が持っておられる正直な気持ちだろうと
思います。ツイッターを始めさせていただいてからも、そのようなご感想を
たくさん頂いています。

そして、その多くの方が次におっしゃるのが
「でも、どうしていいのかがわからない」
ということです。


普段の私たちは、変わることを怖れる「エゴ」が本当の自分自身を
ずっぽりと覆い隠し、見分けのつかないようにしています。
そして、「エゴ」の姿自体が自分自身であると錯覚しています。
すると、自分の今おかれている状況の中で、「変わることは不可能」
であるとしか感じられないのです。

そりゃそうですよね。「エゴ」は何よりも「変化すること」を怖れる
から、本当の自分に気がついて「自分次第で変わることが可能なんだ」
と思ってもらうことはなんとしても阻止しないといけないからです。

ですから、「変わりたいけれど、どうしていいのかわからない」という
のは、実は「エゴ」が囁いている声なのです。

面白いことに、ツイッターで質問いただいた方の中で私が
「こうしたらどうですか?」とアドバイスさせていただいても、それを
素直に実行できるかたと、いろいろな「理由」を見つけて先延ばしされる
かたがおられます。もちろん、私のアドバイスが必ずしも正しいわけでは
ないでしょうから、それを受け入れられるのも受け入れられないのも
その方の「選択」なのだと思います。だから、私のアドバイスを受け入れ
られないからいけないということではないのです。

ただ、エゴは「正当な理由」を見つけるのがとても上手だと言うことは
知っておいて損はしないことだと思います。そして、その「正当な理由」
を探している間は、なかなか人間は「エゴの罠」から自由になることは
出来ません。

そこで「論理」を超えた「跳躍」が必要な場合があります。
言い方を変えれば「理屈を超えた信頼」といってもいいかもしれません。
確かに、信用してはいけない人を信用して痛い目にあうことがある世の中
ですから、誰でも信用していいと言うわけではありません。信頼できる
と思ったのに裏切られたと言う話が多いのも事実ですね。
そこらへんがまた「理屈」で考えると「跳躍」出来ない理由にもなる
わけですね。


「変わりたいのに変われない」という風に言われる方が多いのですが、
それは「変わりたいのに変われない」と思っているから「変われない」
だけのことです。つまり、意識が思ったとおりの現実になっているだけ
です。

もちろん、「変わりたいと思っているのに変われない」ように思わせる
のは、「エゴ」の得意技でそれを克服するのが自分ひとりで出来ないのは
よく理解できます。それでも自分ひとりで変わらないといけないと言って
いるのではないのです。

ただ、「変わりたいのに変われない」と思っている「思い込み」を
手放す決心をするかどうかは本人にしか出来ません。もし、本当に
変わりたいと思う決心をされたらば、「変わりたいのに変われない」と
いう「思い込み」を手放すサポートを含めて、一緒に寄り添ってくれる
人(セラピストさん)を探す努力をする必要があります。


プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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