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マインドフルネスで経験したこと

前回はアイソレーションタンクに入った経験と、「マインドフルネス」の状態には似ている面があるという事を書きました。
つまり、「外からの情報」を一時的に「遮断」することで、普段私たちがあまり注意を払わない「内からの情報」(潜在意識からの情報と言い換えてもいいかもしれません)に対するアンテナの感度を高めようということだと思います。

日常生活ではどうしても外からの情報に注意を払い、情報を処理する事に集中しなければいけません。ですから、「内からの情報」に対するアンテナを高めるためには、ある程度特殊な『環境』を自分で作り出してやらなければいけないのです。

通常では「アイソレーションタンク」などの環境は早々あるものではありませんが、マインドフルネスなら、静かな場所であればいつでも自分で行う事が出来ます。(慣れてくれば静かでなくてもどこででも可能です。)

まず、静かな場所で目を瞑り、自分の『呼吸』に意識を集中させていきます。吸う息と吐く息、そして、その呼吸の切れ変わる瞬間にも意識を集中していきます。吸う息が鼻の内腔から気道を通って肺に入り、そして吐く息では肺から気道を通って鼻の内腔から出て行くところを意識します。
私たちは普段無意識に呼吸をしており、とても浅い呼吸になっています。それを呼吸を意識して大きく吸い、大きく吐くということを繰り返します。
最初はいろいろな「思考」(いわゆる雑念)が頭をよぎるかもしれません。そして、呼吸に意識を集中すると言う単純なことでさえ私たちはなれていないということに気づきます。それでも、無理に雑念を無くさなくてはいけないと思うのではなく、ただ深呼吸に意識を集中するということを続けているうちに、だんだんと「思考の声」が小さくなり始めます。


そして、気持ちが落ち着いたと思ったら自分の身体の気になる部分に意識の集中を移動させるのです。


私があるワークで経験したことを書きます。
私はとても肩こりがひどいので、マインドフルネスになった後で両肩に意識を集中していきました。しかし、そのときには両肩はぜんぜんこった感じがしませんでした。その代わり、右の肩関節の辺りが握りつぶされるように痛み始めたのです。そこで、右の肩関節にじっと意識を集中させていきました。

すると、右の後ろから誰かに肩をつかまれて「危険だから行っちゃだめ」と言われているような「感覚」が起こってきました。
この時に起こってきた「感覚」はとても大切なもので、「気のせいだ」とか「そんなはずはない」とか判断してはいけないのです。この判断は「思考」の産物であり、ここで起こってきた「感覚」は普段この「思考」で押さえつけられてきた「身体の深い部分からの声」であるからです。マインドフルネスという状態になることで、この蓋がとれて「感覚」が浮かび上がってきたと言うことです。

そこで、次にアシスタントの人に実際に右の後ろから右腕と肩を引っ張ってもらうことにしました。最初に起こってきた「感覚」は、ともすればまた消え去ってしまいかねないとても弱い声ですが、こうしてアシスタントに協力してもらってそれを強めることで違った感覚に変化することがあります。

私の場合、アシスタントの人に右腕を引っ張られたときによみがえってきたのは、母親代わりに私を幼いころに育ててくれた祖母の姿でした。私の家は自営業をしていて両親はずっと店に出ていたので、小さいころ母親に接したと言う記憶があまりなく、祖母が実質的な「育ての親」だったのです。その祖母が私のことを心配して、一所懸命右腕をつかんで前に進ませないようにしている「感覚」がはっきりと感じられるようになって来ました。

そのとき、祖母がいかに自分のことを愛してくれていたか、いかに心配してくれていたかが思い出されてきて思わず涙が頬を伝いました。
そして、そのとき瞬間的にこの肩の痛みの原因が腑に落ちたのです。

そのあといろいろな展開があった後で、セラピストの人から祖母の代わりになって「もう行っても大丈夫だよ」と声をかけてもらったときに、こらえ切れないくらいの「嗚咽」といってもいいような感情がこみ上げてきたのです。

それは、「自分は祖母から本当に愛されていたのだ」

という感謝の気持ちでした。

私は統合医療というものをこの日本で実現したいと思って今活動していますが、私の潜在意識の中には30年以上も前に亡くなった祖母がいて、どうなるかわからないことをしようとしている私のことを心配していたのです。

不思議なことに、そのワークが終わったあとから私の右肩の痛みはすっきりとなくなってしまいました。



このような「現象」を科学的に説明できるかと問われれば、現時点では出来ないと思います。科学的かと聞かれれば、科学的ではないでしょう。非科学的だと言ってもいいと思います。でも、実際にこのような「プロセス」を体験することで私の右肩の痛みが無くなったというのは事実なのです。

普通の病院にいけば、「肩関節周囲炎(いわゆる五〇肩)」と診断され、鎮痛剤を処方されるのだと思います。「対症療法」なのです。決してそれが悪いということではありませんが、まったく別のアプローチの仕方があるのだということは私たち西洋医学の医療者も知っておいていいことだと思っています。




身体症状に「宇宙の声」を聴く―癒しのプロセスワーク (アーノルド ミンデル)





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感覚遮断とマインドフルネス

2年位前に、深夜映画でたまたま「アルタード・ステイツaltered states」という映画をやっていてました。最初はそれほど興味もなく、「マッドサイエンティストmad scientist」の話かと思って観ていたのですが、その日はたまたまなかなか寝付けなかったこともあり、結局最後まで観ることになってしまいました。

詳しい話は覚えていませんが、暗い防音されたタンクの中に入ることによって、人間の視覚や聴覚などの感覚を一切ない状態になった時に、人間はどのような状態になるのかということを研究している科学者の話だったと思います。その結果は、どんどんとあらぬ方向に行って最後はあり得ないような結末になってしまうのですが、それでもこの「感覚を一切遮断した状態」にわたしはとても興味を持ったのです。

映画の中に出てきた、遮光・防音されたタンクのことを「アイソレーションタンク」ということは、そのあとでネットで調べて知りました。どうやら、「アルタードステーツ」という映画自体が、この「アイソレーションタンク」を初めて考案したジョン・C・リリー博士をモデルに作られた映画であるということも後で知りました。

普段私たちは、視覚、聴覚、触覚などの五感から常にいろいろな情報を受け取って生きています。この感覚がない状態になった時に、一体どのような経験をするのだろうかということに非常に興味をそそられた私は、ぜひともこの「アイソレーションタンク」を経験してみたいと思い、わざわざ用事を作って東京まで行ったのです。


ネットで色々と検索して、確か白金にあったスタジオにお邪魔したのを今でも思い出すことが出来ます。

最初に、このタンクがどういうものなのかの説明を受けたあと、着替えをして耳栓をして真っ暗なタンクの中に入っていきます。タンクの中は触覚と言う感覚をなくすため、体温と同じ温度に調節された高濃度の硫酸マグネシウム溶液で満たされ、重力を感じないようにしてあります。

最初は、硫酸マグネシウム溶液の独特の臭いがとても気になり、何とも言えない「浮遊感」に少し吐き気がしました。最初は、バランスをとるコツがわからなくて、あちらこちらにタンクの壁に当たっていましたが、それでもじっと溶液に浮かんでいると徐々に安定して浮かぶことが出来るようになりました。

一筋の光もなく目をあいていても真っ暗です。耳栓は耳に溶液が入らないようにするためで、タンクは完全に防音されていて一切の音がしません。溶液は体温に調節されているので暑いも寒いも感じません。自分の体がどこまでで、どこからが自分の外の世界かが分からない、とても不思議な感覚になりました。ちょうど宇宙空間に浮かぶときにはこのような感覚になるのでしょう。


このように、人間の感覚を遮断された状態になった時に、私が最初に感じ始めたのは引きちぎられるような肩の痛みでした。とにかく肩が我慢できないくらいに痛み始めたのです。これは、タンクに入ったことで痛み始めたというのではなく、普段私たちの感覚が如何に外の世界に向けられており、自分自身の肉体や心の内面に向けられていないかと言うことの証明でもあります。

「ああ、自分はこれほどに肩が凝っていたのだ。それなのに、自分はそのことにずっと気づかないでいたのだ」
私はひどい肩こり持ちで、たまにマッサージに行くと驚かれることが多いのです。マッサージをする指が入らないくらい、カンカンに凝っているのです。それでも、普段の私はそれを感じないで生活しているのです。


心療内科の領域で「失感情症」という用語があります。社会生活に適応しようとして、私たちはいつの間にか「悲しい」とか「苦しい」とかいった、自分自身を守るための『アラームサイン』のスイッチをオフにしてしまうのです。なぜなら、そのスイッチをオンにして生きるということは、あまりにも苦しいからです。


ちょうど同じような経験を先日の岡部明美さんの「カウンセラー&セラピスト養成講座」で経験しました。養成講座は今、第3期がちょうど名古屋で行われているのですが、第2期に参加させてもらった私が何かのご縁か、第3期を主催させていただくことになったのです。


そこで、自分の潜在意識の声に耳を傾けるということで、マインドフルネスの瞑想というのを導入としてやります。

マインドフルネスとは
•今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には捉われないでいる心の持ち方、存在の有様。

•われわれが通常対象を知覚する際には、ほぼ自動的に解釈したり評価する思考が起こり、それと同時に好き嫌いなどの感情も加わった上で認識が成立している。しかし、その解釈、評価、感情のほとんどが個人的(集団的、文化的、本能的)なバイアスに由来しているため、現実をありのまま知覚することは非常に困難になっている。

•つまり、思考(自己イメージも含む)や感情は現実や自分そのものではなく心の中の一過性の出来事にすぎないのであるが、そういったものが自分と対象との間に割り込んでくるために、対象をあるがままに体験できなくなり、そのことが限りない誤解や苦しみを生む原因になっていると考えるのである。




日常の生活をしているうえで、どうしても私たちの感覚は外の世界に向いてしまいます。そのことは必要なことであり、良いことでも悪いことでもないのですが、どうしてもこの「外から入ってくる情報」だけに囚われてしまいがちです。そして、自分の心の内面が何を求めているのか、という「内面の情報」に耳を傾けることが少なくなってしまうのです。

では、この「内面からの声」に耳を傾けるとどのような事が起こってくるのか。それについては、次回で私の経験をもとに書いてみたいと思います。

非言語的コミュニケーション

私たちは、通常他の人に自分の「意思や気持ち」を伝えるときには、言葉で伝えることが普通だと思っています。確かに、きっちりと言葉で伝えること(言語的コミュニケーションと言います)はとても大切です。

しかし、いろいろな心理学的な研究では私たちが相手から受け取る「メッセージ」のほとんどは、言語以外の部分から受け取っていると言うことがわかっています(これを「非言語的コミュニケーション」と言います。)

そしてある研究によれば、この非言語的コミュニケーションの割合は90%以上であると言う報告もあるのです。
たとえば、カウンセリングやセラピーなどを受けるときに、クライアントさん側はセラピストに会って30秒以内に、自分はこのセラピストにちゃんと心の中のことを打ち明けて相談できるかどうかを(無意識のうちを含めて)決めてしまっていると言う報告もあります。つまり、言語的な情報を受け取る以前に、言語外からの情報を受け取って、カウンセリングが始まったときにはすでに「大勢が決まっている」ということです。

この非言語的コミュニケーションには相手の表情や視線、ちょっとした身体の動き、話をするときの声のトーンや声の大きさ、それ以外のなんとも言葉に出来ない「雰囲気」などが含まれます。

これは、何も心理学の研究分野で特別に言われていることではなくて、私たちの日常生活すべてがそうであるということです。


このことを、「顕在意識(私たちが普段意識することの出来る意識状態)」と「潜在識(私たちが普段意識することの出来ない意識状態)」との関連で考えて見ましょう。


私たちが普段、ものを考えたり感じたりするときの「顕在意識」は「言語的コミュニケーション」を通じて『情報交換』を行います。一方、「非言語的コミュニケーション」は私たちが意識してコントロールできないもので、「潜在意識」の影響を受けると言えます。
つまり、私たちの「非言語的コミュニケーション」は私たちが潜在意識のなかに持っている「思い込み」をそのまま反映していることがあるのです。

例えば、ある人が私に向かって「私はあなたのことがとても好きです」といくら言葉で出していても、その人の「潜在意識」に、私のことを「実は苦手だ」という気持ちがあったりすると、どうもその言葉をそのままに信じる気持ちになれないと言うことは良くあることです。
その理由を説明せよと言われても出来ないことが多く、「なんとなく」としか言いようがない場合も多いのではないでしょうか。
そしてさらには、その人が私に持っている潜在的な「苦手意識」は、実は私が苦手だった父親に雰囲気が似ているからだったと言うことがあり得るのです。
表面的には、その人は私と仲良くなりたいと思い、確かに好意を持ってくれているにも関わらず、潜在意識では私に「苦手だった父親」を投影して見ているために、「非言語的なコミュニケーション」を通じてその苦手意識が、相手である私に感じられると言う構図です。



私たちが周りの人とのコミュニケーションでどのような印象を持つかは、「言語的コミュニケーション」よりもこの「非言語的なコミュニケーション」のほうが大きな影響を与えるということです。


私の場合、少し前までは潜在意識に「人に心を開くと傷つけられる」という「思い込み(ビリーフ)」があったので、この「非言語的コミュニケーション」を通じて、まさに「傷つけたり傷つけられる人間関係」(被害者になったり加害者になったりする関係)を創りだしていました。
「顕在意識」でいくら努力しても人間関係がうまくいかないと感じたのはこのような「意識の構造」のためだったのです。



先日の三浦海岸で行われた岡部明美さんの3デイワークショップでは絵画や楽器、動作、踊りなどのさまざまな「非言語的ツール」を使ってコミュニケーションをするという実験的なワークをたくさん行いました。

私などは、特に「言語的コミュニケーション」に頼ってしまうところが多い『左脳的人間』なので、言語以外で自分を表現すると言うことがとても苦手です。クレヨンで書いた絵などは、まさに「幼稚園児レベル」といっても過言ではないのです。
しかし、ペアを組んで相手の書いた絵からどのような「情報」を読み取ることが出来るかを実際にやってみた事が、とても興味深い経験になりました。


そして、自分たちが「言語的に伝えようと思っている内容」よりも、「自分では意識していないけれど、伝えている非言語的な内容」のほうが、自分の『本音』であることが多いのだと言うことに気がついたのです。

この『本音』の部分は、通常では自分自身も気づいていないことがあるのですが、今回のワークショップなどのように非言語的な『本音を意識化する』ことは、私がブログで書いている「潜在意識の思い込み」を意識化する作業とも共通していて実に面白いなぁと感じさせてもらいました。




《インセプション》観てきました (ネタばれあり)

何かと話題のディカプリオの「インセプション」と言う映画を観てきました。
「潜在意識」をテーマにした映画と言うことで、これはDVDの発売まで
待てないと思い梅田まで行って来ました。


単純にアクション映画として観ても、楽しめた映画でした。加えて、まさに
「潜在意識」の有り様を表現していて、数倍も楽しめました。

ここからは、ちょっとネタばれありますので、まだご覧になっていない方
はご自身の判断で読むか読まないか決めてくださいませ。

あらすじは、
人が眠っている間にその潜在意識に侵入し、他人のアイデアを盗みだす
という犯罪分野のスペシャリストのコブは、その才能ゆえに最愛の者を
失い、国際指名手配犯となってしまう。そんな彼に、人生を取り戻す
唯一のチャンス「インセプション」という最高難度のミッションが与え
られる。

とあります。

「インセプション」とは、「植え込み」と言う意味で人の潜在意識
の中に入り込んで、その一番奥深いところに、その人の生き方を変える
ような「思い込み、信念体系」を植え込んでくるということです。

映画では、渡辺謙扮するサイトーがディカプリオ扮するコブに、ライバル
会社の跡継ぎ息子の潜在意識に入り込んで、そのライバル会社を潰させ
るような「信念体系」を植え込んでくると言うものです。

映画の中でも、潜在意識は幾つもの層になっていて、これがひとつの
「真実」かと思っていたら、それよりももっと深い層が出てくるという
ということで、実際にセッションをしていても同様のことが起こります。

ブランドン ベイズさんの「ジャーニーワーク」というのがあるのですが、
クライアントさんの潜在意識の中にある「感情の層」を一つ一つ癒しながら
降りていくと言うもので、映画の内容とも符合していました。


そして、潜在意識の一番深いところには「金庫」があって、そこには
一番その人にとって重要な意味を持つ「コア・ビリーフ」が厚い蓋を
して隠されているのです。この「コア・ビリーフ」を植え替えるために
コブはさまざまな危険をかい潜りながら潜在意識の層を降りていくと言う
わけです。
潜在意識の層を降りていくにつれて、エゴは抵抗をします。素直に
すべてを明らかにしてくれません。それも、映画では実に巧妙に表現
されていたと思います。


そして、この「コア・ビリーフ」が植え替えられたとき、その人の
生き方が、意識していようがしていまいがそんなことに関わらず、がらっと
変わってしまうのです。(映画では変わった後のことは描かれていません)


映画では、ライバル会社を潰すために行われた「植え込み」が、ぼくから
みたら、跡継ぎ息子にとっての「コア・ビリーフの書き換え」であると
思えました。

「コア・ビリーフ」が癒されてしまったら、この跡継ぎ息子が継いだ会社
は潰れるどころか、形は変えながらも順調に行くように思うけれど。。。
そんなちょと皮肉っぽいエンディングも隠し味でしょうか。


コブ自身の「個人の物語」も、映画が進むにつれて明らかにされていきます。
彼自身の持つ「罪悪感」の原因がわかったとき、思わずぼくも目頭が
熱くなってしまったです。

それにしても、私たちの潜在意識の一番深いところにある「コアビリーフ」
をしまいこむ「金庫」にどんなものを入れるかで、私たちの生き方が
変わってくるのだと言うことを改めて感じさせてもらった映画でした。




心の中の「本当の自分の声」に耳を傾ける

前回は、魂の求めるワクワクする道を見つけるためには潜在意識の
お掃除が大切だということを書きました。今日はそのことについて
もう少し書いてみたいと思います。

氷山

私たちの、意識は以前にも書いたようにちょうど海に浮かぶ氷山の様な
構造を持っています。海の上に顔を出している「顕在意識」はほんの
数パーセントにしかすぎません。
海面下で見えない「潜在意識」というのはそこだけにとどまらず、
個人の意識のレベルを超えた「集合的無意識」という領域と繋がって
います。これは、ちょうど大きな氷山の浮かぶ海全体にたとえることが
出来ます。

私たちが、自分の潜在意識という心の内面に向き合って、そこにある
「思い込み」のお掃除を続けていくと、氷山全体の透明度が上がって、
やがて海の底から光が差し込んできます。

個人セッションをしているときに、この「海」からのメッセージとしか
思えないような、「個人の知能」を超えたメッセージが、本人の口から
聞かれることがあるということは、以前のトピックでも書いたことが
あります。

そのメッセージがいったいどこから来るのかということについては、
科学的に検証が必要だとは思いますが、「エビデンス」という立場から
ではなく、「ナラティブ(個人の物語性)」という立場から見ると、
この本人自身の口から出たメッセージが、本人もびっくりするような
「叡智」に満ちており、本人さんの気付きに大きな影響を与えること
だけは否定のしようのない事実なのです。

セッションをすることで、潜在意識の「思い込み」にダイナミックな
変化が起こり、一時的にでも氷山を浮かべている「海」つまり「集合的
無意識」から光がさすのかもしれません。

集合的無意識、あるいはそれよりももっと深い部分からの「叡智」は
それほどの力を持っているということなのかもしれません。そして、
それこそが、私たちがみんな本来持っている「本当の自分自身」だと思う
のです。

個人セッションで一時的に見られるこのような状態は、「潜在意識の
お掃除」を続けることで、一時的ではなく日常生活の中でも通常的に
見られるようになります。
このように、潜在意識の「思い込み」をクリアーにしていくことは、
それ自体が目的ではなく、「本当の自分自身」からのメッセージを
受け取って、本当の自分がワクワクと生きることが出来るための手段
なのだということです。

そういう意味で、「潜在意識のお掃除」と「ワクワク生きる」ことは、
二人三脚だと言うことが出来るかもしれません。

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プロフィール

小西 康弘

Author:小西 康弘
京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院などで内科全般を研修し、消化器内科を専門とする。内科専門医。

内科医として約20年病院勤務をしてきましたが、西洋医学の範疇だけでは、とても患者さんの肉体的問題に対して対応できないとその限界を痛感しています。
肉体的な問題の奥底には心理的、精神的な問題が隠れていることが少なくありません。表面に出てくる肉体的な問題は原因ではなく結果で在る事が多いのです。
トランスパーソナル心理学の各手法や、ヒーリング方を勉強中。
シーターヒーリング・プラクティショナー

このブログでは西洋医学だけでなく代替医療やその他の補完療法についての私の考え方や、いろいろな情報を書いていきたいと思います。


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